新潮日本古典集成『源氏物語』(五)2019-12-23

2019-12-23 當山日出夫(とうやまひでお)


石田穣二・清水好子(校注).『源氏物語』(五)新潮日本古典集成(新装版).新潮社.2014
https://www.shinchosha.co.jp/book/620822/

続きである。
やまもも書斎記 2019年12月16日
新潮日本古典集成『源氏物語』(四)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/12/16/9189826

以前に読んだときのことは、
やまもも書斎記 2019年2月25日
『源氏物語』(五)新潮日本古典集成
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/02/25/9040411

新潮版の第五冊目には、「若菜上」から「鈴虫」までをおさめる。

読んで思ったことかはいろいろあるが、二つばかり書いてみる。

第一には、紫の上の思いである。

女三の宮が光源氏の六条院にやってくる。それをめぐって、紫の上の心がゆれうごく。そのこころのうちの描写が実に丁寧である。これはおそらく、当時の貴族社会にあっての婚姻のあり方とふかく関連しているのであろう。

幼いときに光源氏の目にとまって、ひきとられ、そして妻となった紫の上であるが、女三の宮の降嫁ということの前には、立場がなくなるおそれがある。そう思って見るならば、この『源氏物語』という作品は、男性の側に都合のいいように書かれていることに気付く。夫とする男に新しい女性が現れたとき、元の女性の立場はどうなるのか……男がまだ自分のことを思っていてくれるならばいいが、心がはなれてしまえば、それまでである。この観点からするならば、前に出てきた玉鬘の夫になった髭黒の対象の北の方の乱心ぶりが、ある意味で納得されるところがある。だからこそ、一度関係をもった女性の面倒は最後までみるという光源氏の生き方が理想化されることになる。光源氏ほどの男性のものである紫の上でさえ、新しい女性の出現にはこころがゆれる。ましてや、他の男と女の関係においておや、というところであろうか。

第二には、子どもである。

女三の宮は子どもを産むことになる。後の薫である。その出産からはじめて、六条院での幼いときの薫の様子が描かれる。読んでいて、おもわずほほえんでしまうようなところがある。子ども、それも乳幼児というべき幼い子どもの描写としては、実にリアルであるし、また、読んでいて、子どもに対する愛情というものを感じてしまう。このあたりの叙述は、おそらくは、作者……紫式部……の体験をふまえてのものなのかと思う。

平安時代の貴族にとって、「家庭」とはなんであったのだろうか。おそらく、今日の現代社会のものとは違っていたにちがいない。が、そうは思って見ても、子どもへの情愛というものは、今にも通じるものがあると感じる。

この他にもいろいろ思うところがあるが、ともかく以上の二点を書きとめておく。次の冊から、いよいよ「宇治十帖」をふくむ部分になる。ここは、一気に読んでしまおうと思う。

追記 2019-12-30
この続きは、
やまもも書斎記 2019年12月30日
新潮日本古典集成『源氏物語』(六)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/12/30/9195432