『アンナ・カレーニナ』トルストイ/望月哲男(訳)(三)2020-01-04

2020-01-04 當山日出夫(とうやまひでお)

アンナ・カレーニナ(3)

トルストイ.望月哲男(訳).『アンナ・カレーニナ』(三)(光文社古典新訳文庫).光文社.2008
https://www.kotensinyaku.jp/books/book62/

続きである。
やまもも書斎記 2019年12月28日
『アンナ・カレーニナ』トルストイ/望月哲男(訳)(二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/12/28/9194579

『アンナ・カレーニナ』の再読、三冊目である。第五部、第六部をおさめる。前冊からは、おおきく物語が展開する。アンナとヴロンスキーは一緒に生活するようになるし、また、キティとリョーヴィンも結婚する。

「大河ドラマ」というのは、NHKがつかっていることばであるが、これになぞらえれ「大河小説」とでも言えばいいだろうか……この世の中のありとあらゆるものを、全部のみこんで、おおきく流れる大河のように小説の物語が進行していく。(このような意味では、むしろ『戦争と平和』の方が、よりそうであると言えるかもしれないのだが。これも、新しい訳が出るようなので、これは楽しみに読みたいと思っている。)

ともあれ、この小説のなかには、人間の生活にまつわるすべてのものがそそぎこまれているように感じる。

ところで、この三冊目を読みながら、ふと、この小説の冒頭の一文が頭にうかんできた……不幸な家庭は、それぞれに異なっている……そう思って見ると、アンナをめぐる生活というのは、いかにも不可思議であり、また、何かしら不運、不幸がつきまとっているような気がしてならない。この世の理不尽をすべてひきうけてしまっているような印象が、どこかつきまとう。(ただ、この第三冊目まで読んだところでは、ヴロンスキーとの生活が破綻するというところまではいっていない。が、その予感を感じさせるところで、次につづくことになる。)

このアンナの生活と対照的なのか、キティであり、ドリーである。一般的にみれば、幸せな家庭生活と言えるのかもしれないが、そこにはそれなりの、なにがしかの苦労があるようにも思える。

結局、人間とは、それぞれにおいて、なにがしか「不幸」なのであり、それぞれの立場で多様な「不幸」(それは、一見すると「幸福」な生活に見えるかもしれないが)、を送っている、そんなふうに思えてきたりもする。

この小説を読むのは、二度目(あるいは、三度目になるだろうか)、最後がどうなるかは知っているのだが、この三冊目まで読んで、その破局とでもいうべき場面にむかってながれていく物語というものを、どこかで感じてしまう。結局は、「不幸」であったアンナという女性を描くことになると理解していいのかもしれない。

それにして、『アンナ・カレーニナ』の成立は、一八七七年……明治10年……である。日本が、明治維新を経て、その際集段階とでもいうべき、西南戦争を戦っていたころのことになる。その時期において、ロシアで、これほどの文学作品が書かれていたことに、ある意味で驚くところがある。

残るは、最後の第四冊目である。続けて読むことにしよう。

2019年12月1日記

追記 2020-01-05
この続きは、
やまもも書斎記 2020年1月5日
『アンナ・カレーニナ』トルストイ/望月哲男(訳)(四)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/01/05/9198302

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