『櫂』宮尾登美子2020-01-09

2020-01-09 當山日出夫(とうやまひでお)

櫂

宮尾登美子.『櫂』(新潮文庫).新潮社.1996(2005.改版) (筑摩書房.1973.1974)
https://www.shinchosha.co.jp/book/129308/

ふと思い立って……まあ、私の場合、本を読み始めるのは、ふと思い立ってということが多いのだが……今は、宮尾登美子を読んでいる。

宮尾登美子は、若い時によく読んだ。その作品の多くは、映画化されていたり、TVドラマ化されていたりする。映画のいくつかについては見たことを憶えている。

その宮尾登美子の作品で、最初に読んだのは、たしか『櫂』であったのではなかったろうか。自伝的な作品であり、また、作者の出世作と言っていいだろう。

土佐の高知の街の、楊梅(ヤマモモ)売りの行商の場面からはじまる。これは憶えていた。印象的な場面である。ここからはじまって、息の長い文章がつづく。現代的な歯切れのいい文体というのではない。登場人物……喜和という女性……のこころのうちを、行ったり来たりしながら、緩やかに作品は進んでいく。

喜和の夫の岩伍は、「紹介業」である。ありていに分かりやすいことばでいえば、「女衒」である。その岩伍を夫として持つ、喜和という女性の日常生活、家族への思い、夫への気持ち、これが、実に密度の濃い文体でじっくりと描かれる。

再読であるが、その描写の印象的なところは憶えていた。が、今回、読みなおしてみて気付いたところを書いておくと、次の二点がある。

第一に、主人公の喜和は、文字が仮名しか読めない。漢字が読めない。いわば、リテラシに欠如しているという設定。近代日本、日本語におけるリテラシの問題は、未解明の部分が多いと思っているのだが、おそらくこの作品に書かれている、喜和のような人びとは、近代においても多くあったのだろうと思う。

これに対して、夫の岩伍は字の読み書きができる。だからこそ、面倒な書類作成の事務をすることができるし、「紹介業」……芸妓娼妓についての……の鑑札をもらうこともできたとある。

第二に、宮尾登美子の文章を久しぶりに読んでみて、こんなにもオノマトペを豊富につかう作家であったかと、認識をあらたにした。オノマトペは、日本語の語彙の特徴と言ってよい。それを、実に効果的に文章、それも地の文のなかに、数多くつかってある。

これは読みながら付箋を付けてみようかと思ったのだが、それをすると、本が付箋だらけになってしまう。あえて付箋はつけずに読み進めることにした。

宮尾登美子は、高知方言をたくみにつかう。が、オノマトペの使用については、特に高知方言とは関係ないようである。これは、機会をつくって、改めて調査してみる価値があるかもしれない。

以上の二点が、今回、再読してみて思ったことである。

国語学的、日本語学的に見ても、この作品は興味深いところがある。だが、それよりも、この作品を読み終えた後の残る、静かな文学的感銘は、言いようのないものがある。このような女性の生き方が、かつての日本……すでに近代と言ってよい時代だが……において、高知の地であったのか、と思う。

この『櫂』は、宮尾登美子の書いた自伝的な作品の第一冊目になる。つづいて、描かれた年代順には、『春燈』とつづく。娘の綾子はどうなるのだろうか。以前に『朱夏』など読んで知っているのだが、ここは、年末の読書ということで、宮尾登美子の作品を集中的に読んでみようとかと思っている。調べてみると、未読の作品がかなりある。また、再読しておきたい作品もある。

2019年12月19日記

追記 2020-01-10
この続きは、
やまもも書斎記 2020年1月10日
『春燈』宮尾登美子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/01/10/9200266

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