『仁淀川』宮尾登美子2020-01-16

2020-01-16 當山日出夫(とうやまひでお)

仁淀川

宮尾登美子.『仁淀川』(新潮文庫).新潮社.2003
https://www.shinchosha.co.jp/book/129317/

続きである。
やまもも書斎記 2020年1月14日
『朱夏』宮尾登美子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/01/14/9201803

ふと思って、『櫂』を再読してみたくなった。宮尾登美子の自伝的作品である。描かれた時代順にいえば、『櫂』『春燈』『朱夏』そして『仁淀川』になる。ここまで読んで、一番いいと感じるのは、『櫂』。文学的達成という意味では、最高であろう。また、『朱夏』もいい。このような悲惨な満州体験というものがあった、このことを文学的に書きとめてあることの意義は大きい。『春燈』は、その『櫂』と『朱夏』をつなぐものとしての、高知での幼少、少女時代のことがえがかれる。

『仁淀川』であるが……はっきりいって、この作品は、小説として読んで、あまり面白くない。つまらないというのではないが、『櫂』のように、思わずにその小説世界の中に入り込んで読んでしまうというところがない。どことなく散漫な感じがしてしまう。(ただ、これは、私が、あまり集中してこの本を読めなかったせいかもしれないが。)

しかし、読後に感じるのは、作者(宮尾登美子)としては、この作品を書かねばならなかった必然性ということを強く感じる。

この作品で、父の岩伍……宮尾登美子が最も嫌っていた職業……芸妓娼妓紹介業……女衒……であるが、その死が描かれる。また『櫂』の主人公であり、綾子の「母」である喜和も死ぬ。そして、最後のところで、作者(宮尾登美子/綾子)は、作家になる決意を固める。その決心のところまで読んで、この『櫂』から始まる一連の作品は、作者にとっては、どうしても書いておかなければならない作品であったのだということを強く思う。

また、この作品は、戦後の高知が舞台になる。その目で読むならば、『櫂』に描かれた戦前の高知の街の風物は、戦災で失われてしまったものであることに気付く。そして、そう思ってみると、まさに『櫂』は、失ってしまったものへの哀惜の念の小説であったことに、改めて思いがいたる。

『仁淀川』は、作家としての宮尾登美子を理解するうえで、きわめて重要な位置にある作品であるといえよう。

つづけて、宮尾登美子の作品について、未読であったものを中心に読んでおきたいと思う。

2019年12月27日記

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