『鬼龍院花子の生涯』宮尾登美子2020-01-18

2020-01-18 當山日出夫(とうやまひでお)

鬼龍院花子の生涯

宮尾登美子.『鬼龍院花子の生涯』(文春文庫).文藝春秋.2011(文藝春秋.1980)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167287139

この作品は再読になる。

まず、「別冊文藝春秋」(145~149に連載)。単行本が、1980年。文春文庫(旧版)が、1982。その新装版である。私が、以前に読んだのは、旧版の文春文庫であったろうかと思う。

この作品、むしろ映画の方が有名かもしれない。これは、私も見ている。夏目雅子の迫力のある演技が印象にのこる。そして、五社英雄監督の、けれんみたっぷりの演出。映画の印象がつよく残っている。

が、再度、この作品を読んでみて、映画で描いていない、この作品の魅力をつよく感じた。

主な登場人物は、三人になるだろう。まず、タイトルに名前のある鬼龍院花子。しかし、この小説は、この花子の生涯をおってっはいるものの、それがメインのストーリーにになっていない。むしろ、その父親になる、鬼龍院政五郎こそが主人公といっていいだろう。その鬼龍院政五郎の生いたちからはじまって、侠客として隆盛をきわめ、さらには、その落魄の晩年にいたるまでを、詳細につづってある。そして、それを見ているのは、鬼龍院政五郎に養女として育てられることになる松恵という女性である。全編、基本的には、この松恵の視点から描かれることになる。

この『鬼龍院花子の生涯』を読んで思うことを書くならば、次の二点だろうか。

第一には、この作品は、まさにヤクザ小説、任侠小説である。

鬼龍院政五郎の侠客としての一生を描いた作品といってよい。そして、興味深いのは、大正から昭和戦前にかけてのやくざの社会的位置づけである。飛行機、相撲、そして、演芸などの興行にからんで、そのなりわいの資金としてしている。さらには、当時の社会運動にも関係している。「強きをくじき、弱きをたすける」ということで、社会主義とも共鳴するところのある、任侠道というものになる。このところは、以前に読んだときには見逃していたが、今回、読みなおしてみて、興味深かったところである。

神戸の山口組なども、実名で登場する。近代の侠客の歴史の一面を描いた作品であるといっていいだろう。

第二には、宮尾登美子という小説家は、「老い」を描くことのできる作家であることの確認である。

『櫂』を読みなおしてみたくなって、『春燈』『朱夏』『仁淀川』と読んで、次に手にしたのが、この『鬼龍院花子の生涯』である。これらの作品を通じて、確かに作者(宮尾登美子)は「老い」というものを描いている。『仁淀川』における晩年の、岩伍、それから、喜和。また、『鬼龍院花子の生涯』においても、侠客である鬼龍院政五郎の最盛期のときのみならず、おちぶれ病を得た晩年から死にいたるまでをも、冷静な目で描いている。

日本の近現代の小説のなかで「老い」というのは、どのように描かれてきたであろうか。自分自身、もう若くはない。還暦をとうにすぎた。この年になってみると、「若さ」を描いた小説は、それなりに面白のだが、それと同時に、「老い」というものをどう文学的に描くか、読みながら気になるようになってきた。

この観点から読んでみて、宮尾登美子の作品は、確かな、そして、冷徹とでもいうような視線で、人間の「老い」をみつめているところがある。

以上の二点が、『鬼龍院花子の生涯』を再読して思ったことなどである。

さらに書いておくならば、宮尾登美子の小説のうまさがひかる作品でもある。特に、松恵という女性の視点から描くことによって、タイトルになっている花子の無残な人生を、冷酷に見つめているようなところがある。また、鬼龍院政五郎についても、その侠客としての人生を冷静に描くことにつながっている。無論、松恵自身の人生の波乱も描かれる。それを通じて、この作品全編にわたって、作品としての奥行きと広がりをあたえている。このあたりの小説の作り方として、実にうまいと感じさせる。

あるいは他の宮尾登美子作品が読まれなくなったとしても、この『鬼龍院花子の生涯』は読まれ続けていくようにも思う。それは、この作品が、近代の極道小説であると同時に、松恵という一人の女性の自立の物語にもなっているからである。自立した女性を描いた作品として、この作品は確固たるものをもっている。

2019年12月27日記