『蔵 上』宮尾登美子2020-01-30

2020-01-30 當山日出夫(とうやまひでお)

蔵(上)

宮尾登美子.『蔵』(上)(角川文庫).角川書店.1998 (毎日新聞社.1993 中公文庫.1995)
https://www.kadokawa.co.jp/product/199999171803/

『きのね』(上・下)に続いて読んだ。

やまもも書斎記 2020年1月23日
『きのね 上』宮尾登美子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/01/23/9205377

やまもも書斎記 2020年1月24日
『きのね 下』宮尾登美子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/01/24/9205709

この作品、昭和の戦前の越後が舞台である。そのため、登場人物のせりふが越後方言で書いてある。これが、ちょっとなじみづらいところがある。

しかし、これは、まぎれもなく宮尾登美子の小説世界であると感じるところがある。

仏教用語で「生老病死」という。人間の苦の根源である。その生老病死について、克明に描いているという意味で、宮尾登美子は希有な作家かもしれない。近代文学の多くは、青春を描き、恋を描き、また、人間の自我を描いてきた。この流れのなかにあって、宮尾登美子の作品は、多くは市井の人びとの日常生活にまつわるさまざまな情感を描いている。

それは、恋もあれば、子どもが生まれる喜びもあり、また老いもあり、さらに死ということもある。これら、人間の一生にまつわる種々の感情を、余さず描いていると感じるところがある。特に、老いと死である。また、病もある。このようなことを、宮尾登美子の作品を読んで感じるようになったというのも、私自身が年をとってきたせいかとも思う。

『蔵』である。この作品は、出たときから知ってはいたが未読であった。また、TVドラマになったり、映画になったりもしているが、これは見ていない。盲目の女性のストーリーであることは知っていたが、読んでみて、ただ、視覚障害というハンディをもった女性の生涯を描いただけの作品ではないことを思う。

越後の地主であり、酒蔵でもある、家の人間模様が、実に丁寧に描いてある。家族の人間関係は複雑である。若くして死んだ妻(母)、ひとり残されることになる烈という少女。その目の病。その列の面倒を見ることになる、母の妹(佐穂)。そこにやってくる、若い後添えの妻、せき。この複雑な人間関係のなかで展開される、人びとのこころのうちの思い。そこには、かならずしも善意ばかりがあるとは限らない。そのこころの奥底には、影がある。その影の部分をふくめて、この小説は、それぞれの登場人物のこころのうちを描いていく。おたがいのこころのうちのドラマこそが、まさに宮尾登美子の作品の真骨頂であろう。

つづけて、下巻を読むことにしよう。

2019年12月30日記

追記 2020-01-31
この続きは、
やまもも書斎記 2020年1月31日
『蔵 下』宮尾登美子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/01/31/9208581