『麒麟がくる』あれこれ「ひとりぼっちの若君」2020-03-24

2020-03-24 當山日出夫(とうやまひでお)

『麒麟がくる』第十回「ひとりぼっちの若君」
https://www.nhk.or.jp/kirin/story/10.html

前回は、
やまもも書斎記 2020年3月17日
『麒麟がくる』あれこれ「信長の失敗」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/03/17/9225066

この回を見て思ったことを書けば、次の二点ぐらいであろうか。

第一に、伊呂波太夫のこと。

駒が幼いときに育てられた旅芸人の一座、伊呂波太夫(尾野真千子)が、登場していた。これは、楽しみにしていたところでもある。芸人という、非農業民から見た戦乱の世は、どのようなものなのであろうか。どうやら、この伊呂波太夫も、いろいろいわくいんねんのありそうな人生かと思われる。これは、医者の東庵についてもいえる。

このドラマにおいては、架空の人物である、医者の東庵や伊呂波太夫が、おそらくは当時の身分秩序の外側にいる人物として、戦国の時代をどう見るのか、どう生きていくのか、興味深いところである。

第二に、竹千代のこと。

信長の屋敷での竹千代……将来の徳川家康である……と、信長との対話のシーンが、いろいろ興味深かった。歴史の結果としては、信長は明智光秀に討たれ、そして、最終的に天下を統一することになるのが、竹千代(徳川家康)である。その将来のことが分かっていて見るせいもあるのかもしれないが、どことなく今後の歴史の展開を予感させるなりゆきであったかと感じさせる。

その信長と竹千代のことを、天井裏から忍んで見ていたのが菊丸であった。この菊丸の存在が、竹千代の命運とどうかかわってくることになるのだろうか。

以上の二つが、この回を見て印象に残っていることであろうか。

これまで、光秀は、歴史の傍観者という立場にあるように思う。道三のもとにおいても、帰蝶のもとにおいても、また、信長のもとにおいても、光秀が主体的に行動して歴史を動かす重要な役割をはたすということはないようである。このような光秀が、歴史の表面におどりでるのが、本能寺の変ということになるのかもしれない。ともあれ、光秀という人物をとおして見た、戦国のドラマとしてこれから、どのような展開になるのか、次回以降も期待して見ることにしようと思う。

2020年3月23日記

追記 2020-03-31
この続きは、
やまもも書斎記 2020年3月31日
『麒麟がくる』あれこれ「将軍の涙」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/03/31/9229911