『河童・或阿呆の一生』芥川龍之介/新潮文庫2020-04-04

2020-04-04 當山日出夫(とうやまひでお)

河童・或阿呆の一生

芥川龍之介.『河童・或阿呆の一生』(新潮文庫).新潮社.1968(2012.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/102506/

続きである。
やまもも書斎記 2020年4月3日
『奉教人の死』芥川龍之介/新潮文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/04/03/9230972

この文庫本には、芥川龍之介の最晩年の作品を収めてある。

大導寺信輔の半生
玄鶴山房
蜃気楼
河童
或阿呆の一生
歯車

ここまで、芥川龍之介の作品を読んできて、やはりその最期のことを思ってしまう。これらの作品に、芥川龍之介の死を感じ取って読んでしまうというのは、やむを得ないことなのかもしれない。

これらの作品、中学・高校のときに読んだかと覚えている。が、中学生には、これらの作品を理解するのは無理だったかと、今になって思う。「河童」などは、その当時……今から半世紀前になってしまうが……中学生のころ、面白く読んだものではある。しかし、今になって、再度読みかえしてみると、ただ空想の世界の河童を描いただけではない、そこに、著者の人生観・世界観といったものが、強く投影されていることに、あらためて気付くことになる。

「人生は一行のボオドレエルにも如かない」……「或阿呆の一生」にある、有名なくだりである。昔読んだときは、軽く読んだところである。これも、再度、読みかえしてみると、芥川がこの文言のなかにこめた意味を深く感じるところがある。

死を意識させる作品が多いのだが、これは深読みかもしれないが、ふと「近代の憂愁」とでもいうべきものを感じるところがある。あくまでも理知的な文章なのだが、その背景に、ある種の詩情を感じる。そして、芥川龍之介は、二〇世紀の作家なのであるということを思う。二〇世紀の作家ではあったが、日本の「昭和」という時代を生きることができなかった。その文学者との感性において、来るべき日本の将来を予想していたとするべきなのだろうか。

2020年3月19日記

追記 2020-04-09
この続きは、
やまもも書斎記 2020年4月9日
『侏儒の言葉・西方の人』芥川龍之介/新潮文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/04/09/9233360