『麒麟がくる』あれこれ「長良川の対決」2020-05-12

2020-05-12 當山日出夫(とうやまひでお)

『麒麟がくる』第十七回「長良川の対決」
https://www.nhk.or.jp/kirin/story/17.html

前回は、
やまもも書斎記 2020年5月5日
『麒麟がくる』あれこれ「大きな国」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/05/05/9242997

この週で、美濃、道三の部分は終了となる。道三が死に、光秀は美濃の国を去る。

見て思ったことなど書けば次の二点ぐらいだろうか。

第一に、道三の死。

以前、『国盗り物語』をドラマで見て、原作(司馬遼太郎)も読んでいるのだが、長良川の戦いのことは、あまり記憶に残っていない。歴史の結果として、道三が死ぬことになることは知ってはいる。だが、その死をどのように描くかは、それぞれのドラマの作り方による。

このドラマでの、道三の最期は、かっこいいというべきだろうか。ただ一騎で、高政の陣にのりこんでいって、一騎打ちをいどむ。その対決シーンで、道三と高政のやりとりがよかった。高政は、自分は土岐の血をひくものであると語る。だが、道三は、それを認めない。このやりとり、どうやら、高政においても、その偽りであることを知っての上であったと感じさせる。

そして、道三は、高政の軍に討たれることで、父殺しの名を高政に残すことになる。

結局、道三とは何者であったのか。下剋上の世の中、油売りから身をおこして、一国の領主にまでなった。その生涯の先には、「天下」が見えていたようだ。しかし、その「天下」を見ることなく終わった。その子であるはずの高政はといえば、「天下」を語る器ではない。「天下」の夢は、娘の帰蝶がとついだ信長に託されることになる。

その信長を討つのが、光秀である。

第二に、光秀のこと。

光秀は、道三を主君とあおぎ、美濃の国で明智の土地を安堵されることで、武士としてつかえてきた。その明智の土地をはなれることになる。それは、明智の一族を絶やさないためであるということである。

光秀の行動の根底にあるものは何だろう……己の土地(明智の地)へのパトリオティズム(愛郷心)だけではない。そこには、主君とした道三への忠誠心もあった。だが、長良川の戦いの結果、その主君も死に、明智の地を離れることになる。明智の一族として、これから、光秀は戦国時代を生きていくことになる。

この光秀に、「天下」ということが視野にはいっているということはなさそうである。おそらく、今後の展開によって、信長の家臣団の一員となったときに、「天下」ということが見えてくるのかと思う。それまでの光秀は、何を目的として生きていくことになるのか。

あるいは、「麒麟」ということで、きたるべき「天下」を予言していることになると解釈しておくべきなのだろうか。

このあたりのことを描くのが、次の越前編なのであろう。が、このドラマ、COVID-19の影響もあって、撮影が中断しているとのことである。ともあれ、来週の放送はあるようだ。次のステージで、光秀がどのような生き方をすることになるのか、楽しみに見ることにしよう。

2020年5月11日記

追記 2020-05-19
この続きは、
やまもも書斎記 2020年5月19日
『麒麟がくる』あれこれ「越前へ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/05/19/9248280

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