『戦争と平和』(六)トルストイ/岩波文庫2020-05-21

2020-05-21 當山日出夫(とうやまひでお)

戦争と平和(6)

トルストイ.藤沼貴(訳).『戦争と平和』(五)(岩波文庫).岩波書店.2006
https://www.iwanami.co.jp/book/b248231.html

続きである。
やまもも書斎記 2020年5月18日
『戦争と平和』(五)トルストイ/岩波文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/05/18/9247947

ようやく六冊目まで読み終わった。『戦争と平和』を全巻通読するのは、二度目になる。以前は、新潮文庫で読んだ。今回、藤沼貴の新しい訳で、岩波文庫で読むことにした。訳が変わると、やはりイメージが変わる。特にこのような長編の場合、岩波文庫版のように、各巻に主な登場人物一覧があったり、それまでの巻の概要が書いてあったりすると、分かりやすい。それから、岩波文庫版には、ところどころにコラムが挿入してある。訳者の書いたものだが、これもどれも興味深い内容のものである。作品の理解の手助けになる。

さて、全巻を読み終えて思うことであるが、二点ぐらい書いてみることにする。

第一には、作者(トルストイ)は、ロシアという国と人びとを愛していたのだな、ということである。様々な登場人物が出てくる、複雑なストーリーといっていい小説を通底しているものは、作者のロシアへの、ひたむきな愛情であると感じる。

これは、訳文を読んで、さらに、この訳者(藤沼貴)も、トルストイのことを、そして、ロシアのことを、愛情をこめて仕事をしていることが感じとれる。このようなことは、外国文学の翻訳においては、当たり前というべきことかもしれないが、しかし、ただ日本語に訳しただけではなく、そこに、文学作品への深い愛情があってということは、重要なことだと思う。

第二には、(これは前にも書いたことだが)トルストイは、芸術としてこの小説を書いている。歴史書として書いたのではない。トルストイは、まず何よりも芸術家であったのである。その芸術家の洞察力で、歴史というものを見ている。決して歴史学者の視点ではない。

これが、この『戦争と平和』を理解するうえで最も重要なポイントかと思う。

以上の二点が、ともかくこの作品を読んで思うことである。

しかし、以上のように思ってみても、今一つよくわからないのが、その時代的背景である。これは、単に私が、ヨーロッパの歴史、そのなかでも、ナポレオンの事跡について、うといということがある。大きな歴史の知識として知ってはいるのだが、その当時のヨーロッパやロシアの政治的な情勢というものに知識があったなら、この作品をもっと楽しめることだろうと思う。

そうはいっても、感じ取るところとしては、この作品の描いた時代、十九世紀初めのヨーロッパ、ロシアにおいては、今日のような、国民とか市民とかのことばで表しているものが存在していないことは、なんとなく読んで感じるところである。このあたりが、ある意味で、今一つ、この作品の世界に共感できない齟齬を感じるところでもある。

登場人物は、主に貴族である。その貴族の視点からの、祖国であり、戦争である。二十世紀になってからの戦争……第一次世界大戦、第二次世界大戦など……のように、一般の市民、国民が、こぞってそれにかかわり、また犠牲にもなる、というのとは、ちょっと違っている。

ただ、これも、トルストイからすれば、自分の生きた歴史のうちのなかの出来事、ということになるのだろう。年表で確認するならば、この小説に描かれたできごとが終わって、それほど時間のたたないうちにトルストイは生まれている。おそらく、トルストイにとって、ナポレオンのロシア侵攻は、その生涯の記憶の延長のうちにあったできごとということになるのであろう。

この時代感覚を考慮しておかないと、この作品で、トルストイが、歴史というものについて様々にめぐらしている考察に理解が及ばないといってよいだろう。

ところで、『戦争と平和』は、光文社古典新訳文庫で新しい訳が刊行である。現在までに二巻が出ている。これも、岩波文庫と同じ六冊になる予定である。この別の新しい訳でも、さらに読んでおきたいと思う。

2020年5月20日記

追記 2020-05-22
この続きは、
やまもも書斎記 2020年5月22日
『戦争と平和』(六)トルストイ/岩波文庫(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/05/22/9249250