『源氏物語』(2)若紫・末摘花・紅葉賀・花宴2020-07-02

2020-07-02 當山日出夫(とうやまひでお)

源氏物語(2)

阿部秋生・秋山虔・今井源衛・鈴木日出男(校注・訳).『源氏物語』(2)若紫・末摘花・紅葉賀・花宴.小学館.1998
https://www.shogakukan.co.jp/books/09362082

続きである。
やまもも書斎記 2020年6月29日
『源氏物語』(1)桐壺・帚木・空蝉・夕顔
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/06/29/9262795

第二冊目である。「若紫」から「花宴」までをおさめる。

このように小さく分冊になっているので読んでいるせいなもあるのだろうが、各巻の短篇としての面白さに気持ちがむくようになってきている。昔、学生のころに『源氏物語』を読んだときは……そのころは、岩波の日本古典文学大系で読んだ……光源氏の物語として、それを中心に読んだものである。これは、そのころ、大学で授業に出ていた池田彌三郎先生の影響もあってのことかとも思うが。

が、学生のころから何十年かすぎて、ただ楽しみのためだけにと思って、『源氏物語』を読んでいる。このような気持ちで読むと、各巻が、それぞれに独立した短篇として、非常に完成度の高いものであることが感じとれる。

「若紫」は、確かに光源氏と紫の上とのなれそめを描いた『源氏物語』のなかで重要な巻であるであり、そのようなことは分かって読むのだが、しかし、同時に、都をはなれた貴公子(光源氏)が、山里のなかで、幼い女の子(紫の上)をかいま見て、それを我が物にする……おそらく、『伊勢物語』の冒頭の段などをふまえて、このような筋立ての物語が、王朝貴族のうちで流布していたにちがいない。それを踏襲して、『源氏物語』という長大な物語のなかの一つとして、描き出したのは、実に見事という印象をもつ。

また、同じように、「末摘花」の話しなども、身分は高いが零落した姫君の物語が、先行するものとしてあったのだろう。それを、うまくつかって、光源氏の色好みの話しに仕立ててあるのも、見事という他はない。

ところで、去年(二〇一九)のことになるが、「若紫」の定家本が発見されたというのがニュースになった。いわゆる青表紙本である。どれだけ本文に違いがあるのか、気にならないではないが、おそらくは、これまで使用されてきている青表紙本系テキストとそう大きな違いはないのだろうと思っている。これが、若いころのことだったならば、テキストの系統をめぐって、源氏物語大成などひもときながら、いろいろ考えたところだったろう。が、今は、そのような気もおこらないでいる。ただ、余生の楽しみとして、『源氏物語』を読んでいっている。

「花宴」で、朧月夜が登場する。これが、続く、「須磨」「明石」への布石となっている。つづけて、読むことにしたい。

2020年6月12日記

追記 2020-07-03
この続きは、
やまもも書斎記 2020年7月3日
『源氏物語』(3)葵・賢木・花散里
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/03/9264230

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