『源氏物語』(4)須磨・明石・澪標2020-07-07

2020-07-07 當山日出夫(とうやまひでお)

源氏物語(4)

阿部秋生・秋山虔・今井源衛・鈴木日出男(校注・訳).『源氏物語』(4)須磨・明石・澪標.小学館.1998
https://www.shogakukan.co.jp/books/09362084

続きである。
やまもも書斎記 2020年7月3日
『源氏物語』(3)葵・賢木・花散里
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/03/9264230

第四冊目である。「須磨」「明石」「澪標」をおさめる。

「須磨源氏」などと言ったりもするが、とにかく読み進めてきている。いや、「須磨」「明石」の巻は、むしろ物語的には面白い巻と言っていいだろう。

ここまで読んで思うことであるが……今更ながら感じることだが、まさに、この「須磨」「明石」の巻は、貴種流離譚なのだな、ということである。(こんなことはとっくに源氏研究の分野では言われていることにちがいないが。)

貴種流離譚であり、そして、非常にドラマチックな展開である。京の都を退去して須磨にうつり、また、さらに明石にうつる光源氏、そこで出会う現地の女性(明石の君)。ただ、これも、単に流謫の身ということではなく、常に都に残してきた紫の上とは、通信をかわしている。須磨、明石での生活も、そんなに貧窮した生活というのでもない。むしろ、明石の入道の屋敷の見事さにおどろくほどである。

このあたり、明石の入道の造形は、受領層でありながらも、突出した財力の持ち主という設定と読んでおくべきなのかと思う。そうはいっても、その娘(明石の君)の出自としては、都の貴顕の女性にくらべると、どうしても見劣りするものになってしまう。

「澪標」の巻で印象的なのは、やはり、六条の御息所であろうか。その娘(斎宮)への思い、また、一方で光源氏への思い、複雑な思いが錯綜している。このあたりの心理の動きは、近現代の文学理解において興味のあるところでもある。

2020年6月18日記

追記 2020-07-09
この続きは、
やまもも書斎記 2020年7月9日
『源氏物語』(5)蓬生・関屋・絵合・松風・薄雲
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/09/9266212

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの名称の平仮名4文字を記入してください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/07/9265584/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。