『源氏物語』(7)初音・胡蝶・蛍・常夏・篝火・野分2020-07-17

2020-07-17 當山日出夫(とうやまひでお)

源氏物語(7)

阿部秋生・秋山虔・今井源衛・鈴木日出男(校注・訳).『源氏物語』(7)初音・胡蝶・蛍・常夏・篝火・野分.小学館.1998
https://www.shogakukan.co.jp/books/09362087

続きである。
やまもも書斎記 2020年7月13日
『源氏物語』(6)朝顔・少女・玉鬘
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/13/9267588

第七冊目である。「初音」から「野分」までをおさめる。

この小学館の古典セレクションの『源氏物語』、今では、全巻が新本でそろわないようだ。これは、古本である。どこかで教科書としてつかったものらしく、ところどころに書き込みがあった。その書き込みを見ると、どうもあまり古典に知識のない学生とおぼしい。

ともあれ、軽く作ってあるので、古典セレクション版で読んでいくことにする。

おさめてあるのは、玉鬘系統の巻である。印象に残るのは、玉鬘の妖艶さであろうか。亡き夕顔の遺児である玉鬘を、光源氏はひきとることになる。その玉鬘に、光源氏はひかれていく。そのあたりの描写が、実になまめかしい。

かつて、若いときに亡き夕顔と関係があり、そして、その遺児である玉鬘とのっぴきならない関係になろうとしている。そのギリギリのところで踏みとどまっているのだが、ここは、玉鬘との関係があったとしても、おかしくない展開である。

やはり、これは、紫の上の物語とは別に、玉鬘の物語を構想して書いたものなのであろう。

それから、印象に残るのは、「野分」の巻で、夕霧が紫の上の姿をかいまみるシーン。女性の美しさを描写するのに、正面からその姿を描くのではなく、かいまみという状況設定によって、その姿を見ることになる、これは、『源氏物語』の常道だろうと思うが、その中にあって、「野分」の紫の上は、実に美しい。

玉鬘系統の話しが後になって書かれたとしても、その作業は、集中的に、あるいは、紫の上の物語を書くのと連続して行われたものなのであろう。紫の上の美しさという点においては、共通するものがあると強く感じる。

2020年6月21日記

追記 2020-07-19
この続きは、
やまもも書斎記 2020年7月19日
『源氏物語』(8)行幸・藤袴・真木柱・梅枝・藤裏葉
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/19/9269555

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