『文学こそ最高の教養である』光文社新書2020-07-20

2020-07-20 當山日出夫(とうやまひでお)

文学こそ最高の教養である

駒井稔.「光文社古典新訳文庫」編集部 (編著).『文学こそ最高の教養である』(光文社新書).光文社.2020
https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334044824

これは紀伊國屋で行われてきたイベントを書籍化したものである。光文社古典新訳文庫について、ある本をえらび、その翻訳者と、光文社の古典新訳文庫の編集長(駒井稔)が対談したものである。

全部で一四の章からなり、「フランス文学の扉」「ドイツ文学の扉」「英米文学の扉」「ロシア文学の扉」「日本文学・アフリカ文学・ギリシア哲学の扉」にわかれている。そのうち、最初のフランス文学のについてのところは、次のごとくである。

プレヴォ『マノン・レスコー』
ロブ=グリエ『消しゴム』
フローベール『三つの物語』
プルースト『失われた時を求めて』

そして、各章(対談)のあとには、「さらにお勧めの4冊」としてブックガイドが載っている。

この本は、面白くてほぼ一気に読んでしまった。おそらく、現代において、文学、なかんずく、古典文学について、その面白さを語った本としては、群をぬいているいっていいかもしれない。古典を読む意味、文学を味わう楽しさ、また、それを翻訳することの難しさなど、さまざまな観点から、実に興味深い。

光文社古典新訳文庫から一つの本を取り上げて論じるというのが基本のスタイルではあるが、そこは自由に、作家論になったり、文学史の話しになったり、翻訳論のことになったりと、多彩な内容となっている。文学や古典に対するどのような興味から読んでも、あるいは、その作品、作家を読んだことがあって、またなくても、十分に楽しめる内容となっている。

それから、各章末の「さらにお勧めの4冊」もよくできていると思う。ここは、特に、光文社古典新訳文庫に限定せずに、他の出版社のものであっても、あるいは、すでに古書でしか手にはいらない本であっても、関連する本が紹介してある。これが実によくできていると感じる。

また、やはり、「古典を読む意味」とか「文学と何か」とか、さらには、「古典は本当に必用なのか」の議論に興味があって読むと、なるほどとなっとくするところがある。まさに、この本のタイトルがしめしているように、「文学」を「教養」として考える視点があってよい。

それは、異なる時代、異なる地域や国の人びとが何を考え、何を思って生きてきたのか、そして、今に通じる文学としての普遍性に思いをはせることになる。文学を読むということは、その背景にある多様性と、普遍性について考えることにつながる。文学の普遍性、それは人間とは何か、ということにつきるのかもしれない。

なお、この本はほとんどいっきに読んだのだが、最後に書いてあることばが印象的である。文学は芸術であると駒井稔は記している。今、文学は、エンターテイメントか、あるいは、思想か、という雰囲気で語られることが多い。だが、文学の本質は、芸術なのである。そのことを再確認させてくれる意味でも、この本はよくできていると思うのである。

2020年7月19日記

追記 2020-09-25
『マノン・レスコー』については、
やまもも書斎記 2020年9月25日
『マノン・レスコー』プレヴォ/野崎歓(訳)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/09/25/9298998

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