『源氏物語』(14)早蕨・宿木2020-08-06

2020-08-06 當山日出夫(とうやまひでお)

源氏物語(14)

阿部秋生・秋山虔・今井源衛・鈴木日出男(校注・訳).『源氏物語』(14)早蕨・宿木.1998

続きである。
やまもも書斎記 2020年8月4日
『源氏物語』(13)椎本・総角
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/08/04/9275173

第一四冊目である。「早蕨」「宿木」をおさめる。

「宇治十帖」になって、やはり筆致が変わってきていると感じる。

第一に、心理描写が非常に屈折してきている。これまでの本編、特に、「紫の上」系の巻では、心理描写がストレートであった。しかし、ここにきて、そう多くはない登場人物……中の君、宮、薫……主にこの三人の、こころのうちを微細に描いている。そして、それは、時としてすれ違う心理でもある。

第二に、落ちぶれた高貴な姫君が、地位のある男性に見初められて幸せを得る……これは、たとえば、「末摘花」の話しでもあるかもしれない……それが、視点を、男性の側にではなく、女性の側において描いている。特に中の君の心中は複雑である。匂宮に見出されて京につれてこられたとはいうものの、正妻という地位ではない。そうこうしているうちに、匂宮は夕霧の娘の六の君と結婚してしまうことになる。だが、ともかくも子どもができるということで、何とか地位を保っているというところであろうか。

以上の二点が、「宇治十帖」をここまで読んで感じるところである。

やはり、これは、『源氏物語』の本編を書いた作者でなければ書くことができない、人間の心理描写であると思う。光源氏の物語が、男性に視点をおいた色好みの物語であったとして、「宇治十帖」になると、それを、女性の視点を介して、しかも、複数の男性のおもわくをもふくんで、心理劇のドラマとして物語が進行する。

それから、「宿木」の終わりで、浮舟が登場するのだが、これも、ある意味では、長谷寺の霊験譚をなぞっていいるのだろう。また、その浮舟を、薫がかいま見るシーンは、印象的である。

続けて、読むことにする。浮舟がこれからどうなるか、である。

2020年7月2日記

追記 2020-08-07
この続きは、
やまもも書斎記 2020年8月7日
『源氏物語』(15)東屋・浮舟
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/08/07/9276160