『独ソ戦』大木毅2020-09-11

2020-09-11 當山日出夫(とうやまひでお)

独ソ戦

大木毅.『独ソ戦-絶滅戦争の惨禍-』(岩波新書).岩波書店.2019
https://www.iwanami.co.jp/book/b458082.html

これは出たとき(去年のうち)に買ってあったのだが、積んだままになっていた。世評の高い本であることは知っていたが、読むのが今になってしまった。

第二次世界大戦において、ドイツとソ連が戦ったということは知識としてはもっていても、その内実がどのようなものであったかは、ほとんど知らなかった。この本は、いろいろと教えてくれるところが多い。

読んで特に印象にのこるところを記してみれば、次の二点ほどだろうか。

第一には、ヒトラーの歴史的位置づけ。

通説では、なにもかもヒトラーが悪かったことになっている。悪いのはあくまでもヒトラーである。ドイツ国民は、むしろその犠牲者でもある。もしなんらかの「責任」があるとしてとも、それは、ナチの暴走を許してしまったことについてであるという立場を、一般にとっていると理解される。

しかし、この本を読むと、そのような理解が表層的なものでしかないことが分かる。ドイツ国民も、あるいは、ドイツ軍も、また、ヒトラーの「共犯者」であった。端的にいえば、このような歴史的評価をうちだしている。

第二には、歴史と戦争。

歴史を語るには、戦争を避けてとおれない。このとき、軍事についての専門的知識の重要性が必須のものとしてあることになる。この本は、軍事史の専門家の知見がいたるところにちりばめられている。そして、それがただ単に戦争の記述のみならず、政治的判断とからんだところで、時の政治がどのような軍事的判断をしたかが検証されている。

今、日本の近現代史を専門にしている研究者は数多くいるはずだが、そのうちで、専門に軍事史の知識がある研究者が、どれほどいるだろうか。これは、歴史研究のあり方に対する、根本的な方法論の問いかけてである。

以上の二点が、ようやくこの本を読んだ後に思うことである。

「独ソ戦」の評価というのは、ソ連崩壊の後の情報公開と世界情勢の変化によって、格段に研究がすすんだという。まさに、歴史というものは、現代との対話である……このようなことが思い浮かぶ。

この『独ソ戦』によれば、今のドイツにとっても、「独ソ戦」というのは、今の国のあり方を考えるうえで、アクチュアルな問題であるという。日本において、昭和戦前のあり方が、今を考えるうえで、常に考えるべき原点として存在していることにも通じる。

やはり、これは、これからの大きな課題として、太平洋戦争、日中戦争などの歴史を、冷徹な軍事史の知見のもとに、また、同時に巨視的な世界史的視点のもとに、あらためて研究をふかめていく必用があると強く感じる次第である。

この本は、日本のことを考えるうえでも、広く読まれるべき本であると思う。

2020年9月10日記

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