『万葉ポピュリズムを斬る』品田悦一2020-10-24

2020-10-24 當山日出夫(とうやまひでお)

万葉ポピュリズムを着る

品田悦一.『万葉ポピュリズムを斬る』.短歌研究社.講談社.2020
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000344941

新学期の最初のとき、今年はオンラインでの教材提示ということだったのでかなわなかったが、昨年は、「令和」の出典は何であるか、聞いてみた。昨年、まさに改元のときであった。結果は、「万葉集」とこたえてくれたのが、半分ぐらいだったろうか。その他は、「枕草子」とか雑多である。なかには、わざわざ「考案者は菅官房長官」と答えてくる学生がいた。これには、どう対応していいか困る……

たぶん、そうだろうと思っていたが、『文選』と書いたものはなかった。昨年の「令和」の年号が発表になったとき、SNS上では、さかんにその出典が『文選』に依拠するものであることが、語られていたと思うのだが、学生は、はたしてそこまで目がおよんでいたのだろうか。

今年は、オンラインであったが次のようなことは伝えた。『万葉集』が「古典」であるから、そこから元号がとられたのではない。逆である、年号の出典を『万葉集』とすることで、『万葉集』が「古典」であると意識されるようになっているのである。少なくとも、大学で日本文学を学ぶ学生であるならば、このことに自覚的でなければならない。

『万葉集の発明』は持っているし(新旧)、ざっと目をとおした本ではある。この『万葉ポピュリズムを斬る』は、それをふまえたうえで、昨今の万葉集ブームとでもいうべきものを批判している。

いわく、『万葉集』は庶民から天皇までの歌を集めた「国民歌集」などではない。それは、明治になってから形成されてきたイメージにすぎない。

このことに私は、かなりの部分同意する。明治以降の、日本の近代化のなかで求められた「古典」というもの、それにこたえるかたちので『万葉集』のイメージの形成ということがあったことはたしかだろう。このことをふまえずに、ただ「古典」として『万葉集』を礼賛するのは、私もどうかと思うところがある。

ただ、『万葉集』の成立にあたって、文字を持たないような人びとの歌……東歌や防人歌など……が、収録されているのは、どのような経緯によってなのかは、さらに考察の必用があると思ってはいる。

ともあれ、「改元」とは祝賀すべきことなのか、『万葉集』はどのような意味において「古典」であるのか、さらには、「国書」とは何か……今の年号の「令和」をめぐっては、いろいろと考えるべきことが多くある。安易に時流にながされないために、読んで見る価値のある本だと思う。

2020年10月23日記

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