『新樹の言葉』太宰治/新潮文庫 ― 2020-11-23
2020-11-23 當山日出夫(とうやまひでお)

太宰治.『新樹の言葉』(新潮文庫).新潮社.1982(2008.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/100616/
https://www.shinchosha.co.jp/book/100616/
続きである。
やまもも書斎記 2020年11月21日
『津軽』太宰治/新潮文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/11/21/9318674
新潮文庫のこの冊には、太宰の昭和一四年から一五年にかけての作品がおさめてある。太宰の中期の、そのはじめのころの作品ということになる。
収録してあるのは、以下の作品。
「I can speak」
「懶惰の歌留多」
「葉桜と魔笛」
「秋風記」
「新樹の言葉」
「花燭」
「愛と美について」
「火の鳥」
「八十八夜」
「美少年」
「春の盗賊」
「俗天使」
「兄たち」
「老ハイデルベルヒ」
「誰も知らぬ」
解説の奥野健男によると、新潮文庫の太宰治の一六冊目になるらしい。そのせいか、著名な作品がはいっているということではないようだ。
しかし、読んで思うことは、やはり太宰ならではの「語り」のたくみさである。太宰の作品は、「語り」でなりたっているものが多いが……そのなかにあって「走れメロス」などは例外に属するのかもしれない……特に、女性の一人称語りが実にいい。読んでいて、思わずに作品世界のなかにはいっていってしまう。まぎれもなく、太宰の文学である。
この意味で言うと、この冊に収録してある、「火の鳥」は、第三人称視点で書かれているのがだ、この作品は、完結することなく中断している。太宰にとって、第三人称視点の長編小説というのは、かなり困難なこころみであったのかもしれない。
無頼派、デカダンスの文学という太宰の印象であるが、中期の作品を読むとあまりそのイメージは強くない。むしろ、作家として充実した中身の濃い作品を書いている。太宰の文学の可能性がどこに向かっていくことになるのか(その結果はわかってはいるのだが)、このような観点から読んで見ると、昭和の文学史において、中期の太宰治というのは、非常に興味深い。
2020年11月18日記
やまもも書斎記 2020年11月21日
『津軽』太宰治/新潮文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/11/21/9318674
新潮文庫のこの冊には、太宰の昭和一四年から一五年にかけての作品がおさめてある。太宰の中期の、そのはじめのころの作品ということになる。
収録してあるのは、以下の作品。
「I can speak」
「懶惰の歌留多」
「葉桜と魔笛」
「秋風記」
「新樹の言葉」
「花燭」
「愛と美について」
「火の鳥」
「八十八夜」
「美少年」
「春の盗賊」
「俗天使」
「兄たち」
「老ハイデルベルヒ」
「誰も知らぬ」
解説の奥野健男によると、新潮文庫の太宰治の一六冊目になるらしい。そのせいか、著名な作品がはいっているということではないようだ。
しかし、読んで思うことは、やはり太宰ならではの「語り」のたくみさである。太宰の作品は、「語り」でなりたっているものが多いが……そのなかにあって「走れメロス」などは例外に属するのかもしれない……特に、女性の一人称語りが実にいい。読んでいて、思わずに作品世界のなかにはいっていってしまう。まぎれもなく、太宰の文学である。
この意味で言うと、この冊に収録してある、「火の鳥」は、第三人称視点で書かれているのがだ、この作品は、完結することなく中断している。太宰にとって、第三人称視点の長編小説というのは、かなり困難なこころみであったのかもしれない。
無頼派、デカダンスの文学という太宰の印象であるが、中期の作品を読むとあまりそのイメージは強くない。むしろ、作家として充実した中身の濃い作品を書いている。太宰の文学の可能性がどこに向かっていくことになるのか(その結果はわかってはいるのだが)、このような観点から読んで見ると、昭和の文学史において、中期の太宰治というのは、非常に興味深い。
2020年11月18日記
追記 2020-11-26
この続きは、
やまもも書斎記 2020年11月26日
『ろまん燈籠』太宰治/新潮文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/11/26/9320520
この続きは、
やまもも書斎記 2020年11月26日
『ろまん燈籠』太宰治/新潮文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/11/26/9320520
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