『ミルクマン』アンナ・バーンズ/栩木玲子(訳) ― 2021-03-01
2021-03-01 當山日出夫(とうやまひでお)

アンナ・バーンズ.栩木玲子(訳).『ミルクマン』.河出書房新社.2020
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309208138/
ブッカー賞、国際ダブリン文学賞の受賞作ということで読んでみることにした。面白い。読んでいって、思わずにその物語世界のなかにひたってしまう。
この本を読んで感じるところは、次の二点ぐらいになるだろうか。
第一に、(これは、この本の作者の意図したことではないだろうと思うのだが)それでも、英国における北アイルランドをめぐる紛争のあった時代を思ってしまう。しかし、この作品のどこにも、それと明示する記述はない。ただ、著者の来歴からそのように思って読みとってしまう。
これは、文学というものが、社会のなかの文脈で読まれるものであるかぎり、いたしかたのないことなのかもしれない。このように思うのだが、だが、それでも、ある時代の、北アイルランドの人びとの生き方、生活、日常というものを、感じることになる。
自分たちの仲間とそうではない人びと、体制派、反体制派、反・反体制派、宗教の違い、海の向こうの国……ただこのように語られるだけなのだが、このような状況の中で生きていく人びとの生活感覚に、その地域のその時代を読みとってしまう。
これは「誤読」なのであろうが、そう思って読んで、これはこれで実に興味深い。
第二に、一応、ある地域のある時代の物語として読んでみるとして、しかしながら、そこには普遍性がある。
様々な社会の分断、抑圧、それにあらがう人びと……まさに、近代社会のなかにあって、国際社会が常にかかえてきた課題である。それを、ある種の普遍的なものとして、描き出すことに成功している。
とはいえ、決して悲惨な物語ではない。どことなく余裕のある、ユーモアを感じさせる筆致でもある。
以上の二点が、この作品を読んで感じるところである。
そして、この作品の底流にあるのは、ひそやかな怒りといったらいいだろうか。なぜ、こんな世の中に生きていかねばならないのか、どうして世界はこんなふうなのか……どうしようもない理不尽さに対する、怒りの感情が、この作品をとおして感じ取ることができる。
世界をこのように描いてみせる、これこそ文学というものだと強く感じる。
さて、この作品、ブッカー賞ということで読んでみた作品なのであるが、ちょっと見てみると、ブッカー賞の作品の多くは翻訳がある。読んだことのある作品もあるし、中には未翻訳のものもまだあるのだが。これからの読書、あらためてブッカー賞の翻訳作品を読んでいくことを考えてみたいと思っている。
2021年2月28日記
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309208138/
ブッカー賞、国際ダブリン文学賞の受賞作ということで読んでみることにした。面白い。読んでいって、思わずにその物語世界のなかにひたってしまう。
この本を読んで感じるところは、次の二点ぐらいになるだろうか。
第一に、(これは、この本の作者の意図したことではないだろうと思うのだが)それでも、英国における北アイルランドをめぐる紛争のあった時代を思ってしまう。しかし、この作品のどこにも、それと明示する記述はない。ただ、著者の来歴からそのように思って読みとってしまう。
これは、文学というものが、社会のなかの文脈で読まれるものであるかぎり、いたしかたのないことなのかもしれない。このように思うのだが、だが、それでも、ある時代の、北アイルランドの人びとの生き方、生活、日常というものを、感じることになる。
自分たちの仲間とそうではない人びと、体制派、反体制派、反・反体制派、宗教の違い、海の向こうの国……ただこのように語られるだけなのだが、このような状況の中で生きていく人びとの生活感覚に、その地域のその時代を読みとってしまう。
これは「誤読」なのであろうが、そう思って読んで、これはこれで実に興味深い。
第二に、一応、ある地域のある時代の物語として読んでみるとして、しかしながら、そこには普遍性がある。
様々な社会の分断、抑圧、それにあらがう人びと……まさに、近代社会のなかにあって、国際社会が常にかかえてきた課題である。それを、ある種の普遍的なものとして、描き出すことに成功している。
とはいえ、決して悲惨な物語ではない。どことなく余裕のある、ユーモアを感じさせる筆致でもある。
以上の二点が、この作品を読んで感じるところである。
そして、この作品の底流にあるのは、ひそやかな怒りといったらいいだろうか。なぜ、こんな世の中に生きていかねばならないのか、どうして世界はこんなふうなのか……どうしようもない理不尽さに対する、怒りの感情が、この作品をとおして感じ取ることができる。
世界をこのように描いてみせる、これこそ文学というものだと強く感じる。
さて、この作品、ブッカー賞ということで読んでみた作品なのであるが、ちょっと見てみると、ブッカー賞の作品の多くは翻訳がある。読んだことのある作品もあるし、中には未翻訳のものもまだあるのだが。これからの読書、あらためてブッカー賞の翻訳作品を読んでいくことを考えてみたいと思っている。
2021年2月28日記
『青天を衝け』あれこれ「栄一、仕事はじめ」 ― 2021-03-02
2021-03-02 當山日出夫(とうやまひでお)
『青天を衝け』第3回「栄一、仕事はじめ」
https://www.nhk.or.jp/seiten/story/03/
前回は、
やまもも書斎記 2021年2月23日
『青天を衝け』あれこれ「栄一、踊る」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/02/23/9349901
この週でも、栄一のことと慶喜のことが平行して描かれていた。まだ、この二人の人生が交わるところにはいたっていない。
第一に、栄一の方であるが、これは商売の面白さに気づくことになる。父と一緒に江戸に出る。そこで、江戸の街のにぎわいを体験することになる。また、血洗島の藍が不作であるのを心配して、よその土地まで藍の買い付けにでかける。それを、母親が応援し、さらには、父親もその結果をみとめることになる。
このあたり、江戸の街の様子とか、藍の栽培や、藍染めの仕事など、かなり丁寧に描かれていたと感じる。血洗島の村といい、このドラマでは、藍のことはきちんと描く方針のようである。
これまで、幕末・明治維新は多くのドラマで描かれてきているのだが、商人の視点で描くというのは、斬新であるといっていいのだろう。なぜ幕府はつぶれることになるのか、そして、明治政府は何を成し遂げることになるのか、そこに、経済人である渋沢栄一ならでは視点から、このドラマは描くことになるのだろうと思う。
第二に、慶喜の方であるが、将軍になる気はないようである。ただ、水戸の斉昭は非常によろこんでいる。
だが、見ていて、この斉昭が、これまでのドラマで描かれてきたのにくらべて少々軽薄な印象がないではない。斉昭というと、もっと重厚な人物をイメージしてしまうのだが、このあたりはいったいどうだろうか。
以上の二点が、第3回を見て思ったことなどである。
ところで、冒頭の徳川家康の解説はずっとつづくようだ。これはこれで面白いというべきなのだろうが、幕末はいいとしても、明治になってから、あるいは、大正や昭和になってからも、家康の解説というのは、どんなものだろうか。渋沢栄一は、昭和まで生きた。
次回、ペリー来航をめぐってさらに世の中が動いていくようだ。栄一と慶喜がどうなるか、楽しみに見ることにしよう。
2021年3月1日記
『青天を衝け』第3回「栄一、仕事はじめ」
https://www.nhk.or.jp/seiten/story/03/
前回は、
やまもも書斎記 2021年2月23日
『青天を衝け』あれこれ「栄一、踊る」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/02/23/9349901
この週でも、栄一のことと慶喜のことが平行して描かれていた。まだ、この二人の人生が交わるところにはいたっていない。
第一に、栄一の方であるが、これは商売の面白さに気づくことになる。父と一緒に江戸に出る。そこで、江戸の街のにぎわいを体験することになる。また、血洗島の藍が不作であるのを心配して、よその土地まで藍の買い付けにでかける。それを、母親が応援し、さらには、父親もその結果をみとめることになる。
このあたり、江戸の街の様子とか、藍の栽培や、藍染めの仕事など、かなり丁寧に描かれていたと感じる。血洗島の村といい、このドラマでは、藍のことはきちんと描く方針のようである。
これまで、幕末・明治維新は多くのドラマで描かれてきているのだが、商人の視点で描くというのは、斬新であるといっていいのだろう。なぜ幕府はつぶれることになるのか、そして、明治政府は何を成し遂げることになるのか、そこに、経済人である渋沢栄一ならでは視点から、このドラマは描くことになるのだろうと思う。
第二に、慶喜の方であるが、将軍になる気はないようである。ただ、水戸の斉昭は非常によろこんでいる。
だが、見ていて、この斉昭が、これまでのドラマで描かれてきたのにくらべて少々軽薄な印象がないではない。斉昭というと、もっと重厚な人物をイメージしてしまうのだが、このあたりはいったいどうだろうか。
以上の二点が、第3回を見て思ったことなどである。
ところで、冒頭の徳川家康の解説はずっとつづくようだ。これはこれで面白いというべきなのだろうが、幕末はいいとしても、明治になってから、あるいは、大正や昭和になってからも、家康の解説というのは、どんなものだろうか。渋沢栄一は、昭和まで生きた。
次回、ペリー来航をめぐってさらに世の中が動いていくようだ。栄一と慶喜がどうなるか、楽しみに見ることにしよう。
2021年3月1日記
追記 2021-03-09
この続きは、
やまもも書斎記 2021年3月9日
『青天を衝け』あれこれ「栄一、怒る」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/09/9355294
この続きは、
やまもも書斎記 2021年3月9日
『青天を衝け』あれこれ「栄一、怒る」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/09/9355294
梅のつぼみ ― 2021-03-03
2021-03-03 當山日出夫(とうやまひでお)
水曜日は写真の日。今日は梅のつぼみである。
前回は、
やまもも書斎記 2021年2月24日
梅が咲きはじめた
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/02/24/9350291
我が家にある梅の木のうち、紅梅の方である。こちらは少し咲くのが遅い。だが、見ていてもうこれぐらいになったら、つぼみと言ってもいいだろうというぐらいになってきた。
暖かかったり、寒かったりして、結局のところは例年と同じ頃の開花になるだろうか。テレビのニュースなどで、各地の梅の名所の開花の様子が伝えられるようになって、しばらくしたころに、ようやく花を咲かせる。
木の上の陽当たりのいいところを見ると、いくつか咲いているようなのだが、残念ながらこれは写真に撮れない。写真に撮れるところに咲くのは、次の週になってからになるかと思っている。
水曜日は写真の日。今日は梅のつぼみである。
前回は、
やまもも書斎記 2021年2月24日
梅が咲きはじめた
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/02/24/9350291
我が家にある梅の木のうち、紅梅の方である。こちらは少し咲くのが遅い。だが、見ていてもうこれぐらいになったら、つぼみと言ってもいいだろうというぐらいになってきた。
暖かかったり、寒かったりして、結局のところは例年と同じ頃の開花になるだろうか。テレビのニュースなどで、各地の梅の名所の開花の様子が伝えられるようになって、しばらくしたころに、ようやく花を咲かせる。
木の上の陽当たりのいいところを見ると、いくつか咲いているようなのだが、残念ながらこれは写真に撮れない。写真に撮れるところに咲くのは、次の週になってからになるかと思っている。
Nikon D500
TAMRON SP AF 180mm F/3.5 Di MACRO 1:1
2021年3月2日記
『寡黙な死骸 みだらな弔い』小川洋子 ― 2021-03-04
2021-03-04 當山日出夫(とうやまひでお)

小川洋子.『寡黙な死骸 みだらな弔い』(中公文庫).中央公論新社.2003 (実業之日本社.1998)
https://www.chuko.co.jp/bunko/2003/03/204178.html
続きである。
やまもも書斎記 2021年2月27日
『密やかな結晶』小川洋子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/02/27/9351142
この作品のような趣向の連作短篇をなんといったか、たしか文学用語であったと記憶するのだが、忘れてしまっている。ある作品のなかに出てきた事柄、あるいは作品そのものが、他の作品のなかの題材として新たな視点から描かれる。このようなことはともかく、連作短篇として読んで面白い。そして、全体として非常に巧みである。読み終わって、ああなるほど、全体としてこういう構成の小説だったのかと改めて気づく。
さらに書いておくべきは、小川洋子というのは、「怖い話し」を書かせたら逸品である、ということである。いくつか奇妙な味わいの作品があるのだが、連作として読んでいくと、その底流にある恐怖というものに、ふと思い当たる。まさに奇妙な味わいの恐怖小説といってもいいかもしれない。
そう長い作品というのではない。気楽に読めるが、一息に読んでしまう。読み終わって、ため息をつきたくなる、そんな小説である。
2021年2月18日記
https://www.chuko.co.jp/bunko/2003/03/204178.html
続きである。
やまもも書斎記 2021年2月27日
『密やかな結晶』小川洋子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/02/27/9351142
この作品のような趣向の連作短篇をなんといったか、たしか文学用語であったと記憶するのだが、忘れてしまっている。ある作品のなかに出てきた事柄、あるいは作品そのものが、他の作品のなかの題材として新たな視点から描かれる。このようなことはともかく、連作短篇として読んで面白い。そして、全体として非常に巧みである。読み終わって、ああなるほど、全体としてこういう構成の小説だったのかと改めて気づく。
さらに書いておくべきは、小川洋子というのは、「怖い話し」を書かせたら逸品である、ということである。いくつか奇妙な味わいの作品があるのだが、連作として読んでいくと、その底流にある恐怖というものに、ふと思い当たる。まさに奇妙な味わいの恐怖小説といってもいいかもしれない。
そう長い作品というのではない。気楽に読めるが、一息に読んでしまう。読み終わって、ため息をつきたくなる、そんな小説である。
2021年2月18日記
『ことり』小川洋子 ― 2021-03-05
2021-03-05 當山日出夫(とうやまひでお)

小川洋子.『ことり』(朝日文庫).朝日新聞出版.2016 (朝日新聞出版.2012)
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=17676
続きである。
やまもも書斎記 2021年3月4日
『寡黙な死骸 みだらな弔い』小川洋子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/04/9352857
芸術選奨文部科学大臣賞の作品である。世評は高いといっていいのだろう。
主な登場人物は、限られている。主人公は、小父さんである。そして、そのお兄さんが出てくる。他には、薬局の店員とほかに幾人か。が、この作品の本当の主人公は、ことりなのかもしれないと感じるところがある。
ちょっと世間の一般の人とはちがったところのある登場人物、その一生を描いていることになるのだが、読み終わって、何かしら妙に充実した感覚が残る。ああ、こういう人間の生き方というのも、一つの生き方としてあるんだなあ、と感じさせるといってもいいだろうか。
この小説のなかに出てくるお兄さんは、ある種の言語の障害をかかえている。普通には、人とコミュニケーションできないようだ。このような症状のことを、言語学の専門の分野で何といっているのか、ここのところは不勉強でよくわからない。
しかし、この小説が、人と人、また、人と小鳥……このあいだのコミュニケーションを軸に展開する小説であることは重要なポイントだろう。人と人とがわかりあえる、コミュニケーションできるとはいったいどういうことなのか、そこのところを、この作品は、文学的に根源的に問いかけているといっていいだろう。
2021年2月18日記
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=17676
続きである。
やまもも書斎記 2021年3月4日
『寡黙な死骸 みだらな弔い』小川洋子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/04/9352857
芸術選奨文部科学大臣賞の作品である。世評は高いといっていいのだろう。
主な登場人物は、限られている。主人公は、小父さんである。そして、そのお兄さんが出てくる。他には、薬局の店員とほかに幾人か。が、この作品の本当の主人公は、ことりなのかもしれないと感じるところがある。
ちょっと世間の一般の人とはちがったところのある登場人物、その一生を描いていることになるのだが、読み終わって、何かしら妙に充実した感覚が残る。ああ、こういう人間の生き方というのも、一つの生き方としてあるんだなあ、と感じさせるといってもいいだろうか。
この小説のなかに出てくるお兄さんは、ある種の言語の障害をかかえている。普通には、人とコミュニケーションできないようだ。このような症状のことを、言語学の専門の分野で何といっているのか、ここのところは不勉強でよくわからない。
しかし、この小説が、人と人、また、人と小鳥……このあいだのコミュニケーションを軸に展開する小説であることは重要なポイントだろう。人と人とがわかりあえる、コミュニケーションできるとはいったいどういうことなのか、そこのところを、この作品は、文学的に根源的に問いかけているといっていいだろう。
2021年2月18日記
『琥珀のまたたき』小川洋子 ― 2021-03-06
2021-03-06 當山日出夫(とうやまひでお)

小川洋子.『琥珀のまたたき』(講談社文庫).講談社.2018 (講談社.2015)
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000318287
続きである。
やまもも書斎記 2021年3月5日
『ことり』小川洋子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/05/9353646
まったく適当にみつくろいながら、小川洋子を読んでいっている。この作品は、最近の作品ということになる。
この題材を普通の作家が書けば、ホラーということになるかなと思う。壁に囲まれたなかにくらす、ちょっと変わったきょうだいたち。そして、その母親。時々おこる事件。それを、どことなく神秘的で、ファンタスティックな物語に仕上げているのが、小川洋子の小説の特徴というか、あるいは、うまさというべきものなのであろう。
どういう枠組みになっている小説であるかは、読み始めてしばらくすればだいたい見当はつく。短いとはいえない作品ではあるが、そう難渋することなく最後まで読んでしまった。これは、この作者ならではの語りのたくみさによるものであろう。
作品になにかしらの寓意を読みとろうと思えばできなくもないだろう。だが、ここは、深入りすることなく、どこかしら奇妙な味わいのある作品として読んでおけばいいのだと思う。
そしていえることは、小川洋子の文学は、ささやきであることである。小声でひっそりと語りかけてくる。決して音吐朗々と高らかに大声でさけぶようなものではない。そのささやきに耳をかたむけて読むとき、その文学の声を聞くことができる。
2021年2月21日記
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000318287
続きである。
やまもも書斎記 2021年3月5日
『ことり』小川洋子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/05/9353646
まったく適当にみつくろいながら、小川洋子を読んでいっている。この作品は、最近の作品ということになる。
この題材を普通の作家が書けば、ホラーということになるかなと思う。壁に囲まれたなかにくらす、ちょっと変わったきょうだいたち。そして、その母親。時々おこる事件。それを、どことなく神秘的で、ファンタスティックな物語に仕上げているのが、小川洋子の小説の特徴というか、あるいは、うまさというべきものなのであろう。
どういう枠組みになっている小説であるかは、読み始めてしばらくすればだいたい見当はつく。短いとはいえない作品ではあるが、そう難渋することなく最後まで読んでしまった。これは、この作者ならではの語りのたくみさによるものであろう。
作品になにかしらの寓意を読みとろうと思えばできなくもないだろう。だが、ここは、深入りすることなく、どこかしら奇妙な味わいのある作品として読んでおけばいいのだと思う。
そしていえることは、小川洋子の文学は、ささやきであることである。小声でひっそりと語りかけてくる。決して音吐朗々と高らかに大声でさけぶようなものではない。そのささやきに耳をかたむけて読むとき、その文学の声を聞くことができる。
2021年2月21日記
『おちょやん』あれこれ「一人やあれへん」 ― 2021-03-07
2021-03-07 當山日出夫(とうやまひでお)
『おちょやん』第13週「一人やあれへん」
https://www.nhk.or.jp/ochoyan/story/13/
前回は、
やまもも書斎記 2021年2月28日
『おちょやん』あれこれ「たった一人の弟なんや」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/02/28/9351493
この週のメインは一平とその家族であった。
第一に、一平の天海襲名のこと。
鶴亀の会社の意向として、一平は、父の天海の名跡をつぐことになる。しかし、一平は素直にうけいれようとしない。その父に対する、子どもとしての、また役者としての、屈折した思いがあるせいである。
第二に、一平の母のこと。
一平の母が生きて京都にいるらしい。一平と千代は京都に向かう。カフェーキネマの助けを借りてどうにか探し出すことができたが、久々の母と子の対面ということにはならなかった。母は、母なりに、複雑な事情があって、一平たちのもとを去ったようだ。だが、一平のことを忘れたわけではなかった。
第三に、襲名興行と千代のこと。
天海襲名の口上のなかで、一平は、千代と結婚すると語る。この週のはじまりと終わり……このふたりは、相互に言うことになっていた……「一人やない、うちがおる」と。
以上の三つぐらいの内容をつめこんだ、中身の濃い一週間であったと思う。
ところで、一平の母が女将をやっている旅館、どうもただの旅館ではないようだ。まあ、昭和戦前の話しであるし、いろんな旅館があったのだろうとは思うが。
次週、チャップリンの来日をめぐって話しは展開するようだ。楽しみに見ることにしよう。
2021年3月6日記
『おちょやん』第13週「一人やあれへん」
https://www.nhk.or.jp/ochoyan/story/13/
前回は、
やまもも書斎記 2021年2月28日
『おちょやん』あれこれ「たった一人の弟なんや」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/02/28/9351493
この週のメインは一平とその家族であった。
第一に、一平の天海襲名のこと。
鶴亀の会社の意向として、一平は、父の天海の名跡をつぐことになる。しかし、一平は素直にうけいれようとしない。その父に対する、子どもとしての、また役者としての、屈折した思いがあるせいである。
第二に、一平の母のこと。
一平の母が生きて京都にいるらしい。一平と千代は京都に向かう。カフェーキネマの助けを借りてどうにか探し出すことができたが、久々の母と子の対面ということにはならなかった。母は、母なりに、複雑な事情があって、一平たちのもとを去ったようだ。だが、一平のことを忘れたわけではなかった。
第三に、襲名興行と千代のこと。
天海襲名の口上のなかで、一平は、千代と結婚すると語る。この週のはじまりと終わり……このふたりは、相互に言うことになっていた……「一人やない、うちがおる」と。
以上の三つぐらいの内容をつめこんだ、中身の濃い一週間であったと思う。
ところで、一平の母が女将をやっている旅館、どうもただの旅館ではないようだ。まあ、昭和戦前の話しであるし、いろんな旅館があったのだろうとは思うが。
次週、チャップリンの来日をめぐって話しは展開するようだ。楽しみに見ることにしよう。
2021年3月6日記
追記 2021-03-14
この続きは、
やまもも書斎記 2021年3月14日
『おちょやん』あれこれ「兄弟喧嘩」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/14/9356856
この続きは、
やまもも書斎記 2021年3月14日
『おちょやん』あれこれ「兄弟喧嘩」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/14/9356856
『薬指の標本』小川洋子 ― 2021-03-08
2021-03-08 當山日出夫(とうやまひでお)

小川洋子.『薬指の標本』(新潮文庫).新潮社.1998(新潮社.1994)
https://www.shinchosha.co.jp/book/121521/
続きである。
やまもも書斎記 2021年3月6日
『琥珀のまたたき』小川洋子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/06/9353963
「薬指の標本」「六角形の小部屋」の二編をおさめる。
小川洋子の文学作品には、透明感といってよいものがある。だが、その芯には確固たる存在があってのことではあるが。
ここに収録の作品も、また全体として一種の透明感というようなものを感じる。と同時に、これはまさにホラーであるとも思う。小川洋子という作家は、あるいは、現代では希有なホラー作家なのではないだろうか。
もし、奇妙な感じの作品、どことなく怖くなるような雰囲気の作品ということで、現代文学のアンソロジーを選ぶならば、是非とも小川洋子の作品をいれてみたい気がする。
そして、これは、上質のエンタテイメント小説にもなっている。読んでいって、思わずにその作品世界のなかにひたって読んでしまう。ストーリーテラーとしてのうまさがひかっている。
2021年2月22日記
https://www.shinchosha.co.jp/book/121521/
続きである。
やまもも書斎記 2021年3月6日
『琥珀のまたたき』小川洋子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/06/9353963
「薬指の標本」「六角形の小部屋」の二編をおさめる。
小川洋子の文学作品には、透明感といってよいものがある。だが、その芯には確固たる存在があってのことではあるが。
ここに収録の作品も、また全体として一種の透明感というようなものを感じる。と同時に、これはまさにホラーであるとも思う。小川洋子という作家は、あるいは、現代では希有なホラー作家なのではないだろうか。
もし、奇妙な感じの作品、どことなく怖くなるような雰囲気の作品ということで、現代文学のアンソロジーを選ぶならば、是非とも小川洋子の作品をいれてみたい気がする。
そして、これは、上質のエンタテイメント小説にもなっている。読んでいって、思わずにその作品世界のなかにひたって読んでしまう。ストーリーテラーとしてのうまさがひかっている。
2021年2月22日記
『青天を衝け』あれこれ「栄一、怒る」 ― 2021-03-09
2021-03-09 當山日出夫(とうやまひでお)
『青天を衝け』第4回「栄一、怒る」
https://www.nhk.or.jp/seiten/story/04/
前回は、
やまもも書斎記 2021年3月2日
『青天を衝け』あれこれ「栄一、仕事はじめ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/02/9352146
士農工商というが……これまでドラマで描かれてきた幕末・明治維新は、主に「士」の視点によるものであった。それを「農工商」の視点で描こうとしているのが、今回の『青天を衝け』になるのだろう。
栄一の家は、藍づくりの農民である。藍の商いをする商人でもある。また、その藍をつかった藍玉の製造、それから、最終的には、藍染めの職人の仕事まで、そのビジネスの視野にはいっている。まさに「農工商」にかかわっているといってよいだろう。
その栄一の視点からみて、幕藩体制というのは、理不尽のきわみでもある。藩の上納金を命ぜられれば、言うとおりに払うしかない。抵抗することは許されない。この栄一にとって、幕末の尊皇攘夷運動、さらには討幕の動きというのは、どのように映ることになるのであろうか。
さらには、近代国家となった日本における、商業のあり方に、栄一は深くかかわっていくことになるはずである。
一方、慶喜の方はというと、英明な一橋家の主という印象である。その側につかえることになった円四郎と、なんとかうまくやっているようだ。ここで印象に残っているのは、「争臣」ということばである。現代の政治に対する、批判的視点であろう。
この最後の将軍と、栄一の生涯がどのように交わることになるのかが、これからのこのドラマの見どころといっていいのだろうと思って見ている。
次週、安政の地震のことになるようだ。開国することになった日本は、いよいよ幕末の動乱の時代を迎えることになる。楽しみに見ることにしよう。
2021年3月8日記
『青天を衝け』第4回「栄一、怒る」
https://www.nhk.or.jp/seiten/story/04/
前回は、
やまもも書斎記 2021年3月2日
『青天を衝け』あれこれ「栄一、仕事はじめ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/02/9352146
士農工商というが……これまでドラマで描かれてきた幕末・明治維新は、主に「士」の視点によるものであった。それを「農工商」の視点で描こうとしているのが、今回の『青天を衝け』になるのだろう。
栄一の家は、藍づくりの農民である。藍の商いをする商人でもある。また、その藍をつかった藍玉の製造、それから、最終的には、藍染めの職人の仕事まで、そのビジネスの視野にはいっている。まさに「農工商」にかかわっているといってよいだろう。
その栄一の視点からみて、幕藩体制というのは、理不尽のきわみでもある。藩の上納金を命ぜられれば、言うとおりに払うしかない。抵抗することは許されない。この栄一にとって、幕末の尊皇攘夷運動、さらには討幕の動きというのは、どのように映ることになるのであろうか。
さらには、近代国家となった日本における、商業のあり方に、栄一は深くかかわっていくことになるはずである。
一方、慶喜の方はというと、英明な一橋家の主という印象である。その側につかえることになった円四郎と、なんとかうまくやっているようだ。ここで印象に残っているのは、「争臣」ということばである。現代の政治に対する、批判的視点であろう。
この最後の将軍と、栄一の生涯がどのように交わることになるのかが、これからのこのドラマの見どころといっていいのだろうと思って見ている。
次週、安政の地震のことになるようだ。開国することになった日本は、いよいよ幕末の動乱の時代を迎えることになる。楽しみに見ることにしよう。
2021年3月8日記
追記 2021-03-16
この続きは、
やまもも書斎記 2021年3月16日
『青天を衝け』あれこれ「栄一、揺れる」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/16/9357551
この続きは、
やまもも書斎記 2021年3月16日
『青天を衝け』あれこれ「栄一、揺れる」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/16/9357551
梅が咲いた ― 2021-03-10
2021-03-10 當山日出夫(とうやまひでお)
水曜日なので写真の日。今日は梅である。
前回は、
やまもも書斎記 2021年3月3日
梅のつぼみ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/03/9352494
我が家の梅の木のうち、八重咲きの紅梅がようやく花が咲いた。
ほぼ例年どおりだろうか。三月になって、ひな祭りが済んで、お彼岸になるまでのあいだぐらいに、だいたい花がひらく。過去に撮った写真を見ると、それでも、一週間程度の違いは年によってあるようだ。
庭に出ると、そろそろ木瓜の赤い花が咲こうかというころあいになっている。沈丁花の花も咲いている。桜の木を見ると、冬の寒い時期からくらべると、つぼみの様子が春めいてきているのを感じるようになった。
オオイヌノフグリとか、タンポポとか、地面に花が見られるようになるのももうすぐのことだろう。
写真を撮っていて、ようやく春めいた感じのするこのごろである。
水曜日なので写真の日。今日は梅である。
前回は、
やまもも書斎記 2021年3月3日
梅のつぼみ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/03/9352494
我が家の梅の木のうち、八重咲きの紅梅がようやく花が咲いた。
ほぼ例年どおりだろうか。三月になって、ひな祭りが済んで、お彼岸になるまでのあいだぐらいに、だいたい花がひらく。過去に撮った写真を見ると、それでも、一週間程度の違いは年によってあるようだ。
庭に出ると、そろそろ木瓜の赤い花が咲こうかというころあいになっている。沈丁花の花も咲いている。桜の木を見ると、冬の寒い時期からくらべると、つぼみの様子が春めいてきているのを感じるようになった。
オオイヌノフグリとか、タンポポとか、地面に花が見られるようになるのももうすぐのことだろう。
写真を撮っていて、ようやく春めいた感じのするこのごろである。
Nikon D500
TAMRON SP AF 180mm F/3.5 Di MACRO 1:1
2021年3月9日記
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