『まぶた』小川洋子2021-03-11

2021-03-11 當山日出夫(とうやまひでお)

まぶた

小川洋子.『まぶた』(新潮文庫).新潮社.2004(新潮社.2001)
https://www.shinchosha.co.jp/book/121522/

続きである。
やまもも書斎記 2021年3月8日
『薬指の標本』小川洋子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/08/9355030

不思議な印象の残る短篇集である。収録してあるのは、次の作品。

飛行機で眠るのは難しい
中国野菜の育て方
まぶた
お料理教室
匂いの収集
バックストローク
詩人の卵巣
リンデンバウム通りの双子

どれも短い。が、どの作品も、何かしら奇妙な読後感が残る。なかには、不可思議な話し、あるいは、ちょっと怖い感じの話しもある。だが、恐怖感は感じるところがないし、かといって、ファンタジーということでもない。また、短編小説としてオチのある話しということでもない。

だが、短いこれらの作品を読んで、小説の書き手としてうまい、と感じさせるものがある。話しをつくりだすストーリーテラーとして、絶妙といっていいのだろう。

そして、そこにふとした人生の一瞬の風景をきりとってみせる手際のうまさがある。おそらく小説というものを読む楽しみがあるとすれば、これらの小説のなかにあるといっていいのだろう。読んで面白い作品であるとはいえるのだが、どう面白いのかと問われると、はたと返答に困る、そんな作品ばかりである。が、これが小川洋子という作家の魅力なのであろう。

冷静に考えてみれば荒唐無稽な話しであるともいえよう。だが、小説とは、本来「狂言綺語」であったのではないか。それを読む楽しみがあってもいいだろう。

2021年2月28日記

追記 2021-03-12
この続きは、
やまもも書斎記 2021年3月12日
『ブラフマンの埋葬』小川洋子
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/12/9356227

『ブラフマンの埋葬』小川洋子2021-03-12

2021-03-12 當山日出夫(とうやまひでお)

ブラフマンの埋葬

小川洋子.『ブラフマンの埋葬』(講談社文庫).講談社.2007(講談社.2004)
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000204411

続きである。
やまもも書斎記 2021年3月11日
『まぶた』小川洋子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/11/9355914

小川洋子ならではの透明感あふれる作品である。

舞台は、どこかの架空の村、というよりもその郊外のある場所。〈創作者の家〉。そこで管理人の仕事をしている僕。ふとあらわれた、小さな不思議な生きもの……僕はそれにブラフマンと名前をつける。そして、僕とブラフマンと、〈創作者の家〉の人びと、村の人びととの、生活がはじまる。

抒情的というのとも違う、神秘的というのとも違う、ファンタジーというのでもない、なんともいえない雰囲気のただよう作品である。淡々とした記述のなかに、僕とブラフマンとのきずなが描かれる。生きものを見るいとおしさがつたわってくる。

大きめの活字でゆったりと組んである本なので、文庫本といってもいっきに読めてしまう。タイトルに「埋葬」とあるから分かることなのだが、最後にブラフマンとの別れがある。別にこのような終わり方でなくてもいいのにという気がしないでもないが、ブラフマンとの別離が、印象的な読後感として残る。

ある種の心のあたたかさに触れるような感じのする作品である。

2021年3月3日記

追記 2021年3月13日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年3月13日
『ミーナの行進』小川洋子
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/13/9356547

『ミーナの行進』小川洋子2021-03-13

2021-03-13 當山日出夫(とうやまひでお)

ミーナの行進

小川洋子.『ミーナの行進』(中公文庫).中央公論新社.2009(中央公論新社.2006)
https://www.chuko.co.jp/bunko/2009/06/205158.html

続きである。
やまもも書斎記 2021年3月12日
『ブラフマンの埋葬』小川洋子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/12/9356227

谷崎潤一郎賞の作品。これは、大人のための童話だなという印象がある。

ある事情があって、岡山から芦屋の西洋館に住むことになった小学生の少女。そこには、ミーナという名の少女がいた。そこの家族。それから、コビトカバのポチ子。このちょっと変わった家族の人びとと、少女との一年ほどのものがたりである。

芦屋という場所を特定している小説なのだが、特に現実の芦屋の街を思い起こさせるとことはほとんどない。これは、空想の街でもいいようなものかもしれない。だが、岡山という場所、芦屋という場所の特定が、この作品に奇妙な安定感を与えることになっている。

時代は、1972年。ミュンヘン・オリンピックの年である。この年のできごとが、季節を追ってつづられる。1970年の大阪万博の余韻ののこる時代である。まだ、高度経済成長の時代の流れのなかにあったといえるだろうか(ただ、この小説には、このあたりのことはあまり出てこない。)それを、この小説の現代……それは、バブル経済崩壊後の日本といっていいだろう……から、昔の少女のときのこととして回想している。

この物語は、回想という形になっている。現代から、その当時のことを思い出して書いていることになっている。この回想という枠組みがあるせいで、ある時代、ある西洋館でのできごとが、一種の懐かしさと喪失感、哀惜の念とともに、情感深く描かれることになる。

谷崎潤一郎賞の作品であるが、おそらくは『細雪』をどこかで意識して書いたのだろうと感じる。失われた時代への喪失感である。谷崎は、戦前の阪神間の中流家庭に見出していたのだが、この作品は、戦後の1972年の芦屋の西洋館とそこに住む人びとのなかに設定している。

回想、思い出であるからこそ美しくもある。その美しさは、この小説のなかに出てくるものでたとえるなら、さしずめマッチ箱であろうか。あるいは、マッチの火で一瞬の間に照らし出される光景であろうか。

ともあれ、清涼な読後感のある、現代の物語である。

2021年3月4日記

追記 2021-03-18
この続きは、
やまもも書斎記 2021年3月18日
『海』小川洋子
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/18/9358122

『おちょやん』あれこれ「兄弟喧嘩」2021-03-14

2021-03-14 當山日出夫(とうやまひでお)

『おちょやん』第14週「兄弟喧嘩」
https://www.nhk.or.jp/ochoyan/story/14/

前回は、
やまもも書斎記 2021年3月7日
『おちょやん』あれこれ「一人やあれへん」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/07/9354382

番組のOPを見ていると……この週から、竹井千代から、天海千代に名前がかわった。だが、舞台に女優としてたつときは、もとの竹井千代であるらしい。が、夫の一平は、天海一平のままである。天海に名前がかわっていない。

この週で描いていたのは、千之助のこと。

かつて万太郎と一緒に舞台にたっていたのだが、万太郎に縁を切られてしまう。それ以来、千之助は、万太郎に思うところがあったようだ。鶴亀の会社の方針として、二つの劇団をきそわせて、勝った方をチャップリンに見せる、となった。万太郎と千之助は、勝負をすることになる。

このあたり、喜劇役者の舞台にかける執念のようなものを、哀切をこめて細かに描いていたかと思う。最終的には、万太郎と千之助は、再び仲良くなるという結果ではあった。

劇中劇の「丘の一本杉」は、松竹新喜劇で上演されている演目の一つである。それをたくみに、ドラマのなかにとりこんでいたと感じる。

それにしても、千代のもとに花を届けてくれているのはいったい誰なのだろうか。ひょっとして、このドラマの最後になるところまで、これは謎であるのかとも思うが、どう展開していくことになるだろうか。

次週、また父親のテルヲが登場するようだ。楽しみに見ることにしよう。

2021年3月13日記

追記 2021年3月21日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年3月21日
『おちょやん』あれこれ「うちは幸せになんで」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/21/9359042

『アムステルダム』イアン・マキューアン/小山太一(訳)2021-03-15

2021-03-15 當山日出夫(とうやまひでお)

アムステルダム

イアン・マキューアン.小山太一(訳).『アムステルダム』(新潮文庫).新潮社.2005(新潮社.1999)
https://www.shinchosha.co.jp/book/215721/

まだ読んでいない本であったので読んでみた。ブッカー賞の作品である。イアン・マキューアンは、最近の本として『恋するアダム』がある。これを読む前に読んでおきたいと思った。

正直言って、よく分からない小説である。英国のエリートたちの、スキャンダラスな一面をコミカルに描いている小説であることは分かるのだが、読んでいって、その登場人物の造形に、どれも今一つ共感できない。

これは、我が国と英国との社会、文化、制度の違いということが、かなりあるのだろうと思う。波瀾万丈の大活劇でもないし、ミステリというわけでもない。また、人間の情愛に満ちた物語というのでもない。ただ、登場人物たちが、滑稽に動き回って右往左往するのを、眺めているという印象にとどまってしまう。

これが、英国の社会の事情に詳しい予備知識があって読むならば、おそらく非常に興味深く読むことのできる作品なのだろうとは思う。現代英国の人間喜劇といったところであろうか。

マキューアンは、読んでおきたいと思っている作家の一人。つづけて読むことにしよう。

2021年3月13日記

『青天を衝け』あれこれ「栄一、揺れる」2021-03-16

2021-03-16 當山日出夫(とうやまひでお)

『青天を衝け』第5回「栄一、揺れる」
https://www.nhk.or.jp/seiten/story/05/

前回は、
やまもも書斎記 2021年3月9日
『青天を衝け』あれこれ「栄一、怒る」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/09/9355294

この回で描いていたのは、栄一の合理的精神だろう。

狐憑きの噂がながれる。そこに現れる修験者たち。どうもあやしげであるが、祈祷がおこなわれる。そこで、栄一は、堂々と言ってのけることになる。祈祷師たちは、嘘つきである、と。結果、祈祷師たちは、栄一の家を逃げ出すことになる。

これまで、幕末明治維新で多くのドラマが作られてきたはずだが、ここまで、近代的な合理的な精神のあり方を描いた作品は、希と言っていいのではないだろうか。おそらくは、この合理的精神が、今後の栄一の生き方、近代的な経済の確立という方向に向かう、そのささえになるのだろう。その伏線として、また、その当時の人びとの心性をとらえたものとして、この回の狐憑きのエピソードは、うまくできていたと思う。

慶喜の方は、いかにも英明な君主といっていいのだろうか。まだ、将軍にはなっていないが。

安政の地震があり、藤田東湖が死ぬことになった。これは、歴史的にそうなのだから、いたしかたのないことではある。それにしても、水戸の斉昭は、もう少し、重厚な感じがあってもいいような気がしてならない。

時代的背景としては、開国をうけての、尊皇攘夷運動のたかまりといったあたりになるのだろう。ここから、討幕という流れのなかで、幕藩体制にどう見切りをつけていくことになるのか、このドラマではどう描くことになるのだろうか。古めかしい用語でいえば、幕藩体制の矛盾ということになるのだろうが、明治維新から近代国家成立のプロセスを、どう描いて見せることになるのか、これからの展開を楽しみに見ることにしよう。

2021年3月15日記

追記 2021-03-23
この続きは、
やまもも書斎記 2021年3月23日
『青天を衝け』あれこれ「栄一、胸騒ぎ」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/23/9359712

土筆2021-03-17

2021-03-17 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日は写真の日。今日は土筆である。

前回は、
やまもも書斎記 2021年3月10日
梅が咲いた
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/10/9355601

春になると、我が家の周囲のいくつかのところで土筆が見られる。今年は、例年より早いような気がしている。

日本国語大辞典(ジャパンナレッジ)を見る。

「つくし」の項目には、

スギナの胞子茎。円柱状で葉緑素を欠き淡褐色、節には黒褐色の鞘(さや)がある。

とあり、さらに説明がある。

用例は、古いもので、東寺百合文書‐に・文永三年(1226)から見える。この用例の表記は、「土筆」となっている。かなり古くから、この漢字表記が用いられてきたことがわかる。

この東寺百合文書は、今では、WEBでほぼその全貌を見ることができるようになっている。検索してみると、たぶん次の文書であろう。

東寺百合文書WEB
http://hyakugo.pref.kyoto.lg.jp/

に函/2/1/ 丹波国大山庄領家方得分注文案
http://hyakugo.pref.kyoto.lg.jp/contents/detail.php?id=18410

土筆を写真に撮ると、どうも似たような写真にしかならないと思う。が、これも季節のものだと思って、毎年、春になると土筆の写真を撮っている。

使ったレンズは、タムロンの180ミリである。三脚を低い位置に設定して、地面の高さで写している。

外に出ると、ちょうど梅が咲いている。桜の花芽もかなり色づいてきて、近日中には咲きそうな気配である。次週には、桜の写真が写せるかと思っている。

土筆

土筆

土筆

土筆

土筆

Nikon D500
TAMRON SP AF 180mm F/3.5 Di MACRO 1:1

2021年3月16日記

追記 2021-03-24
この続きは、
やまもも書斎記 2021年3月24日

https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/24/9359999

『海』小川洋子2021-03-18

2021-03-18 當山日出夫(とうやまひでお)

海

小川洋子.『海』(新潮文庫).新潮社.2009(新潮社.2006)
https://www.shinchosha.co.jp/book/121524/

続きである。
やまもも書斎記 2021年3月13日
『ミーナの行進』小川洋子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/13/9356547

短篇集である。収録してあるのは、次の作品。


風薫るウィーンの旅六日間
バタフライ和文タイプ事務所
銀色のかぎ針
箱入りドロップ
ひよこトラック
ガイド

ごく短い作品もふくむのだが、どの作品も読んで印象深い。そして面白い。小説を読む面白さというものを堪能させてくれる、珠玉の短篇集になっている。

そのなかで特に印象にのこるのは、「バタフライ和文タイプ事務所」、それから「ガイド」であろうか。

「バタフライ……」は、和文タイプが登場する。こんなもの、この小説の書かれた時代には、もう過去のものだろうと思う。この意味では、実際の和文タイプというものを知っている世代でないと、面白さが伝わらないのかもしれない。だが、そうはいっても、文字、活字というもののもつ、一種のフェティシズムとで言おうか、活字というモノから喚起されるイメージを、実に見事に文学的にとらえている。

「ガイド」も面白い。母親と少年、それから、不思議な老人の話であるが、読んでいって思わずに、その話の中にひきこまれるところがある。そして、読み終わって、いい話しだな……という印象が残る。

この作品集のなかでは、冒頭におかれている「海」もいい。鳴鱗琴という不思議な楽器が登場する。この作品集は、なにかあるモノに対する思い入れのようなものが、核になっている作品がいくつかある。あるモノをめぐる物語でもある。これが、小川洋子の文学世界なのかな、と思って読んでいる。

2021年3月9日記

追記 2021-03-19
この続きは、
やまもも書斎記 2021年3月19日
『妊娠カレンダー』小川洋子
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/19/9358420

『妊娠カレンダー』小川洋子2021-03-19

2021-03-19 當山日出夫(とうやまひでお)

妊娠カレンダー

小川洋子.『妊娠カレンダー』(文春文庫).文藝春秋.1994(文藝春秋.1991)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167557010

続きである。
やまもも書斎記 2021年3月18日
『海』小川洋子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/18/9358122

小川洋子の芥川賞受賞作である。いわば、小川洋子としては初期の作品ということになるのだろうが、ここにはまぎれもなく小川洋子の世界がある。

収録してあるのは、次の作品。

妊娠カレンダー
ドミトリ
夕暮れの給食室と雨のプール

このなかでは、おそらく「ドミトリ」のような作品……なにかしら不思議な世界……が、その後の小川洋子の作品世界をかたちづくっていくことになるのかと思う。ちょっと奇妙な感じがする。そして、少し怖くもある。

「妊娠カレンダー」は、妊娠という非常に即物的、現実的なことを描きながらも、どこかしら奇妙な感覚になるところがある。現実の世界のことなのだが、どこか距離をおいて見る視点があり、神秘とユーモアを感じる。なるほど、この作品が芥川賞を得たのは、確かな文学的評価であったと感じるところがある。

2021年3月9日記

追記 2021-03-22
この続きは、
やまもも書斎記 2021年3月22日
『猫を抱いて象と泳ぐ』小川洋子
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/22/9359343

『JR高田馬場駅戸山口』柳美里2021-03-20

2021-03-20 當山日出夫(とうやまひでお)

JR高田馬場駅戸山口

柳美里.『JR高田馬場駅戸山口』(河出文庫).河出書房新社.2021(河出書房新社.2012 改題)
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309418025/

この作品、以前に『グッドバイ・ママ』のタイトルで河出文庫で出ていたもの。それをタイトルを改めて、新たに出したものである。

柳美里という作家は、たしかに現代という時代を描いている作家だといえよう。この小説の登場人物……主にはその主人公である女性……に、共感できるかどうかは別にしても、ともかくこのような人間の生きている時代に、今の我々は生きているのだということを、この作品を読んで実感する。

都内で一人で子育てをしている女性。夫は単身赴任と遠方にいる。帰ってこない。子どもは幼稚園に通っている。その幼稚園の教育方針にいろいろと問題を感じる。また、住んでいる団地においても、自治会の人びとと軋轢がある。その他、住んで生活していくなかで、よくもこんなに問題点をあら探ししなくてもいいのにと思うほど、多くの問題に首をつっこんでいる。

あげくは、自分で自分を追い詰めていくことになってしまう。追い詰められた結果、主人公の女性は覚悟を決めたようだ。(が、その結末の一歩手前のところで、この小説は終わっている。このような終わり方があっても、これはこれで、一つの書き方だとは思う。)

ここで描かれているのは、まさに現代という時代、東京という都市で生活していくことの意味、といっていいのだろう。私は、この小説の主人公の女性に共感するところはない。しかし、ふとこの小説の物語の世界にひたって読んでいくことになる。小説としては、たくみである。特に、その文体がいい。ハットリ君を模した文体で、読者をひきつけていく。

JR駅のシリーズは、「上野」と「品川」は読んだ。これからも、たぶん河出文庫で、このシリーズが刊行になるのかと思う。順次、読んでいきたいと思う。

2021年3月19日記