『おちょやん』あれこれ「うちの原点だす」2021-04-11

2021-04-11 當山日出夫(とうやまひでお)

『おちょやん』第18週「うちの原点だす」
https://www.nhk.or.jp/ochoyan/story/18/

前回は、
やまもも書斎記 2021年4月4日
『おちょやん』あれこれ「うちの守りたかった家庭劇」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/04/9363716

このドラマは、劇中劇のつかいかたがたくみである。ドラマのなかのできごとが、劇中劇のなかにながれこんでいく。あるいは逆にドラマのなかに劇中劇の台詞がはいりこんで融合する。

時代の流れとしては、昭和二〇年三月の大阪の大空襲から、終戦、そして戦後のころまでを描いていた。戦時下における人びとのくらし、なかんずく、演劇にたずさわる人びとの生活の感情をこまやまに描いていたと思う。

いろんなシーンが印象に残る。二つばかりあげてみる。

第一には、千代の語っていた「人形の家」の台詞。「私には神聖な義務があります」……このことばが、重くひびいた。千代にとって、役者として生きることと、社会のなかで生活することの両立の難しさをかみしめたうえで、役者としてか生きられない自分に覚悟を決めたかのごとくであった。

第二には、戦後の焼け跡での「マットン婆さん」の芝居。みつえに見せるために、千代たちは芝居をすることになる。福富の家の焼け跡である。衣装も道具もなにもない。ただの野外の空き地での公演である。

「マットン婆さん」は、以前にも出てきたいたが、この回は、少し変えてあった。一福も登場してトランペットを吹くことになる。ここでは、戦後の時代をこれからたくましく生きていこうとする人びとの気持ち、また、役者たちの希望が感じられるシーンであった。

以上の二つばかりが、特に印象に残っている場面である。

他にも、竹藪のなかで、千代が台詞を言いながら歩いて行く場面など、印象深い。

ところで、このドラマは、戦後の焼け跡、闇市というものが、それほど面だって登場してきていない。これはこれで、一つのドラマの作り方かと思う。(その結果としてであるが、戦後の闇市のシーンには必ず登場してくる、米兵相手に仕事をしている女性たちも登場しないことになった。)

また、終戦の玉音放送のシーンも、あっさりとしたものであった。そこに大きな断絶があるというよりも、戦中から戦後にかけて生きた人びとの生活の連続性を描こうとしていたと思える。

千代たちは、戦中は、愛国ものの芝居で、戦意を鼓舞することをしていた。そのことに千代はうしろめたさがないではないようである。しかし、役者として生きていくということは、その時代にあって、人びとのもとめるものを舞台で演じることにしかない、そのように思いきっていると思わせるところがある。

言いかえるならば、戦中の愛国の芝居について、反省しているということではない。だが、これはこれとして、役者として、一つの筋のとおった生き方であると感じさせる。

次週、戦後の新喜劇としての展開になるようだ。楽しみに見ることにしよう。

2021年4月10日記

追記 2021-04-18
この続きは、
やまもも書斎記 2021年4月18日
『おちょやん』あれこれ「その名も、鶴亀新喜劇や」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/18/9368326