『青天を衝け』あれこれ「横濱焼き討ち計画」2021-04-27

2021-04-27 當山日出夫(とうやまひでお)

『青天を衝け』第11回「横濱焼き討ち計画」
https://www.nhk.or.jp/seiten/story/11/

前回は、
やまもも書斎記 2021年4月20日
『青天を衝け』あれこれ「栄一、志士になる」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/20/9369027

現代の我々は歴史の結果を知っている。だから、尊皇攘夷の運動が最終的には挫折せざるをえないことがわかっている。結果としては、討幕はなるが、開国、そして文明開化ということになる。

だが、その時代、まだ明治維新の前の時代において、尊皇攘夷の動きの渦中に身をおいていた人びと……なかんずく、地方の若者たちはどんなだったのだろうか。このあたりのことを、このドラマでは、ダイナミックに描いていると感じる。

幕末の尊皇攘夷といえば、私にとって思い出すのは、やはり『夜明け前』(島崎藤村)である。尊皇攘夷というのは、その時代の人びとにとって、どうすることもできない時代の大きな流れだったのだろう。

『夜明け前』は、何年か前に再読している。

やまもも書斎記 2018年2月23日
『夜明け前』(第一部)(上)島崎藤村
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/23/8792791

しかし、その実際の行為はというと、これは現代の価値観で語ることになるが、テロリストに他ならないともいえよう。いくら動機に純粋で汲むべき点があるとはいえ、そのなそうとしていることは、暴力でしかない。

血気にはやる栄一と、それをとどめることができないでいる親……父親の市郎右衛門、母親のゑい。このようなことは、近いところでは、安保闘争における学生運動などにも、共通するものを見出すことが可能かもしれない。時代の流れのなかに身を投じようとする若者と、それをとどめることのできない親の世代である。私は、このドラマに、幕末明治維新の時代を見るよりも、近年の学生運動の時代のことを思って見てしまった。

ところで、歴史の方はというと、慶喜が将軍後見職についた。これから大きく時代は変わろうとしていることになる。慶喜が最後の将軍になって、明治維新となるまで、あとわずかである。

さて、次回、栄一と慶喜は、歴史の流れのなかでどのように生きていくことになるのだろうか。楽しみに見ることにしよう。

2021年4月26日記

追記 2021-05-04
この続きは、
やまもも書斎記 2021年5月4日
『青天を衝け』あれこれ「栄一の旅立ち」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/05/04/9373811