映像の世紀(8)「恐怖の中の平和」2021-05-21

2021-05-21 當山日出夫(とうやまひでお)

NHK 映像の世紀(8) 恐怖の中の平和~東西の首脳は核を背負って対峙した~

続きである。
やまもも書斎記 2021年5月14日
映像の世紀(7)「勝者の世界分割」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/05/14/9377361

この回で描いていたのは、東西冷戦。特に米ソの対立。このころのことになると、私も記憶にあることになる。

印象に残ることとを書いてみる。

ベルリンの壁。この番組が放送されたのは、一九五五年、つまりベルリンの壁の崩壊の後である。このときのことは、まだかなりはっきりと覚えている。そして、ベルリンの壁を作ったのは、東の方から、人びとを西側に移動させないためであった。このベルリンの壁こそ、東西対立を象徴するものであったし、その崩壊は、時代の動きを端的にしめすものでもあった。

核開発競争。いまだに、この世界は、核兵器を持つ国とそうではない国に分断されている。保有する側には、それなりの論理があってのことにはちがいないが、しかし、核兵器のうえにきずかれた平和状態とはいかにもろいものなのか、キューバ危機の教訓がある。あるいは、そのことを、もっとも分かっているのが、今の北朝鮮であるのかもしれないが。

宇宙開発。人工衛星は、単に科学の問題ではない。それは、軍事技術と密接に結びついている。これは、今にいたるまで同じだろう。たしかに平和利用という側面はあるにしても、それは、いったんことがおこれば、軍事的に転用可能なものである。

だいたい以上のようなことを思って見るのだが、この番組を通じて印象にのこっているのが、フルシチョフの声。ソ連崩壊の後につくられた番組なので、フルシチョフの生きていた時代のことの資料が発掘されて公開されていることになる。

これは先週も思ったことなのだが、東西冷戦の時代、共産主義は、ある意味で正義でもあった。少なくとも我が国において、ある種の人びとにとっては、そうであった。その幻想が崩れたのが、一九八九年のベルリンの壁の崩壊以後のことになる。

今のロシアになってからはどうだろうか。同じような番組を作ろうと思って、できるだろうか、ふと気になるところでもある。東西冷戦を一九五五年の時点から描いた番組であったと思う。それが今では、北朝鮮の核問題、また、中国のこと、ロシアのこと、さらに、二〇〇一年以降のイスラム原理主義などのこと……国際問題の火種はつきない。今からふりかえってみるならば、一九五五年というときは、まだ(ある意味で)良かった時代であったのかもしれない、ふとそんなことを思って見る。

2021年5月19日記

追記 2021-05-28
この続きは、
やまもも書斎記 2021年5月28日
映像の世紀(9)「ベトナムの衝撃」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/05/28/9382039

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