『源氏物語を読む』高木和子2021-07-08

2021-07-08 當山日出夫(とうやまひでお)

源氏物語を読む

高木和子.『源氏物語』(岩波新書).岩波書店.2021
https://www.iwanami.co.jp/book/b583371.html

六月の岩波新書の新刊は、『失われた時を求めて』ついてと、『源氏物語』についてと、二冊出ることになったので、これは両方買って読むことに。(昔、若いころは、岩波新書は基本的に毎月全部読んでいた時期もあったのだが、さすがにそれも疲れてきたと感じるようになった。)

面白い本だともいえるし、あまり面白くない本だともいえる。

第一に、面白くないと感じる方から書いてみる。

要するに、この本は、『源氏物語』のあらすじなのである。桐壺からはじまって、夢浮橋まで、順番に巻をおって、その概要が延々と書いてある。はっきりいってこれは退屈である。

『源氏物語』なら、そのストーリーの概略は知っている。無論、現代の校注本でも読んでいる。小学館版、旧日本古典文学大系、新潮日本古典集成、新日本古典文学大系、岩波文庫など、いくつかのテクストで読んでいる。(岩波文庫については、新しく刊行の既刊分ということになるが。ただ、旧版でもページを繰ったことはある。)

また、上記の現代の校注本には、基本的に、その巻の概要が書いてある。まったくの白紙の状態から『源氏物語』を読むということはない。あらかじめどんなことが、この巻には書いてあるのか、どのような登場人物が出てくるのか、分かったうえで、では原文ではどう書いてあるのかを確認するというのが、現代の一般の『源氏物語』の読み方である。

これは、いわゆる「原文」(古文のまま)で読む場合。手っ取り早く現代語訳で読もうという人にとっては、また事情は異なるかもしれない。

ともあれ、岩波新書の一冊を使って『源氏物語』のあらすじを語るというのも、これはこれで、荒技だと感じる。

第二に、その一方で面白いと思う点。

あらすじを語りながら、ところどころに、現代の『源氏物語』研究の視点からのコメントが書いてある。その成立論であったり、王権論であったり、『源氏物語』研究における、主要な論点については、なにがしか言及があるといっていいだろう。(ただ、私は、『源氏物語』を専門にしているということではないので、現在の研究の動向にうといということは、どうしてもあるのだが。)

たぶん、『源氏物語』の研究に習熟しているいる研究者なら、ここは、あの人の説だなと思いながら読むことになるのだろうと思う。あるいは、これが、まだ学生で、これから『源氏物語』を読んでみようという人にとっては、あらかじめの予習として、今の研究では、このようなことが論じられているのだと知る手がかりにもなるだろう。

以上の、相反する二点のことを思ってみる。

どうでもいいことかもしれないが、この岩波新書における『源氏物語』の本文の引用は、小学館の新編日本古典文学全集によっている。岩波版の、新日本古典文学大系にはよっていない。一般の読者のことを考えるならば、小学館版のテクストが、現代ではもっとも標準的な『源氏物語』だから、これはこれでいいのかとも思う。

『源氏物語』もまた、読みなおしてみたくなっている。岩波新書で、この本を出したということは、岩波文庫版の『源氏物語』がそろそろ完結するのかとも思う。岩波文庫版でそろうようになったら、これはこれで、最初から読みなおしてみたい。

2021年7月2日記

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