『源氏物語』秋山虔2021-07-15

2021-07-15 當山日出夫(とうやまひでお)

源氏物語

秋山虔.『源氏物語」(岩波新書).岩波書店.1968
https://www.iwanami.co.jp/book/b267326.html

岩波新書で、『源氏物語を読む』(高木和子)が刊行になったのを機に、岩波新書で昔出た本を復刊したものである。たしか、これは、若いときに読んだかもしれない本なのだが、今となってはすっかり忘れてしまっている。新しいきれいな本で読んでみることにした。

『源氏物語を読む』でも感じたことなのだが、『源氏物語』の一般的な本……新書本など……を書こうとすると、どうして、あらすじにしたがって書くということになるのだろうか。入門的な本という意図からするならば、長大な『源氏物語』についてその梗概を書く必要が、まずある。そのうえで、この物語を今の研究においてどのように読むことになるのか、論ずることになる。全体として、あらすじになってしまうのは、これはいたしかたのないことかもしれない。

この本、出たのが一九六八年……昭和四三年……ということもあるのだが、今の時点から読むと、ちょっと時代を感じさせる。「王権」というような用語がつかってない。が、全体として、『源氏物語』を論じる視点は、オーソドックスなものであるといってよいだろう。

これは、「古典は本当に必要なのか」の議論とも関連するところだが、『源氏物語』の入門的な本などが、新書本で、かつてはあった、その証拠のような本ともいうことができる。「教養」としての「古典」であり、その代表的作品としての『源氏物語』である。だから岩波新書のなかの一冊として刊行されていた。

『源氏物語』を、文学作品として読んでいる。これは、当たり前のことかもしれないが、古典文学研究の立場からすると、これは、意外とそうでもない。強いていえば、秋山虔のころまでは、『源氏物語』を、コンテンポラリーな視点から、「文学」として享受する感覚が生き残っている。これが、今では、消えかかっているとでもいうべきだろうか。少なくとも、日本の古典文学の専門の研究者以外から、『源氏物語』をどう読むか、という声が、なかなか聞かれなくなってきてしまっているとはいえそうである。

そうはいっても、『源氏物語』については、今でも、入門的な本のいくつかはある。が、その多くは、やはり入門であって、本格的に『源氏物語』を論じる入り口というわけにはいかなくなっているように感じられる。

『源氏物語』について勉強してみようと思っている、日本文学専攻の学生などにとっては、今回の復刊は、よろこぶべきことかもしれない。日本における代表的な中古文学研究者の手になる、『源氏物語』の概論として、その成立論、作品論、作者論、などをふまえて、(ちょっと時代はふるくなるが)その時点における、基本的な論点をおさえてある。

特に、その作品論に踏み込んだ評言に共感するかどうかは、また別のこととしておいて、一読の価値のある本だと思う。

2021年7月5日記