映像の世紀プレミアム(6)「アジア 自由への戦い」2021-09-16

2021-09-16 當山日出夫(とうやまひでお)

映像の世紀プレミアム (6) アジア 自由への戦い

再放送である。この回の最初の放送のときのことは見た記憶がある。

思うこととして、二点ほど書いてみる。

第一に、最も印象に残るのは、溥儀である。

ラストエンペラーとして名前は知っている。歴史書、小説などでも、たびたび登場する。その場合、多くは、清朝の最後の皇帝であり、満州国の皇帝としてである。

満州国の評価ということについては、日本の傀儡国家ということににはなるのだろうが、その歴史的な意味、今日にまでつながる意義ということについては、いまだに決着を見ているとはいいがたいかもしれない。が、溥儀の名前は、満州国とともに、日本の人びとには記憶されている。

その溥儀の姿を、映像として目にすると、何よりも百聞は一見にしかず……歴史的映像として、その迫力を感じる。

第二に、インドのこと。

ガンジーとボースのことが出てきていた。これは、最初の放送を見たときにも感じたことであるが、どうもこの番組では、ガンジーを理想化して描きすぎているように思えてならない。現実にインド、パキスタンの独立ということになった要因としては、ガンジーのちからもさることながら、現実的な問題として、ボースのような活動があったからだろうとは思うところである。

しかし、だからといって、ガンジーのかかげた理想が、色あせるということではない。いや、近年のアフガニスタンの情勢など見ていると、ここで再びガンジーの時点にまでたちかえって考えるみる必要があるのではないかとも感じる。

以上の二つぐらいが、特に印象に残っているところである。

この回は、アジアをあつかっていた。が、はたして、アジアは一つなのだろうか。地域的にみて、サウジアラビアまでアジアといってしまうのは、ちょっと普通の感覚とはことなる。(このあたり、井筒俊彦のいう「東洋」という発想とも、ちょっと関係してくる。)

アジアを地域的に認定するとしても、そのなかにおける、国家、民族、言語、文化、宗教は、まさに多様である。一つの理念でまとめて論じることは、かなり難しいのではないだろうか。この意味では、最後に登場していたブルース・リーのことばが印象的である。

2021年9月15日記