映像の世紀プレミアム(21)「太平洋戦争 銃後 もうひとつの戦場」2021-12-06

2021-12-06 當山日出夫(とうやまひでお)

映像の世紀プレミアム 第21集 太平洋戦争 銃後 もうひとつの戦場

今、映像の世紀プレミアムを順次再放送しているのだが、その途中でこの放送である。太平洋戦争から八〇年ということでの企画のようだ。見て思うことなど、思いつくままに書いてみる。

これまで、映像の世紀のシリーズでは、日本ニュースの映像を多く使ってきたが、その会社の設立の経緯からスタートしていた。映像資料といえども、誰がどのような意図で製作したのか、史料批判の目が必要ということである。

この回の放送は、特に、これまでの放送では使わなかったの映像資料を多く使っていたように思える。

昭和一六年の、戦争開戦をつげる大本営の発表の場面。これが、後になってから再現撮影した、いわゆるやらせ映像であることは、この放送で知った。

印象に残る場面がいくつかある。

慰問袋をつくるアイヌの人びとの映像。これは貴重なものであろうと思う。

テニアンの人びとのくらし。沖縄出身で、南洋に移住した人びとの生活が、興味深い。島には、映画館やカフェもあったそうだが、この当時のカフェは、おそらく風俗営業の店だろう。このあたりは、説明があってもよかったかと思われる。

何よりも印象にのこるのは、テニアンの島に作られた、日本人の子どもたちのための学校。テニアンというと、悲劇的な自決の島というイメージを持っていたのだが、このエピソードは、ある意味で驚くところがあった。ここでは、日本語で日本の子どもたちの教育が行われていたようだ。

それとくらべるとであるが、日本がインドネシアを占領して、現地で日本語が使われていた……あるいは、強制されたともいうべきであろうが……このことは、日本語の歴史のなかで忘れてはいけないことの一つだと思う。

マレー語の学習が、日本でさかんにおこなわれていたことを、この放送で知った。

学徒出陣。これは、これまで幾度となく放送されてきた。それを、その場面を撮影した日本ニュースの視点からとりあげていたことが重要かもしれない。ニュース映画の制作者であっても、学徒出陣を必ずしも肯定的にはとらえていなかった。

何度も見ているシーンではあるが、神宮競技場での東條英機の「天皇陛下万歳」の声ほど、今になってみれば、むなしくひびくものはない。(このシーンを見て思うことがあるならば、軽々しくこのことばを口にすべきではないと、私は思う。)

特攻隊員として、上原良司のことがとりあげられていた。この名前は、記憶にある。(いつ覚えたのかはさだかではないのだが。)

戦時中の保育園の記録映画。監督した厚木たかのことばが印象的である。この短い映画も、その当時にあっては、せいいっぱいの時代への抵抗であったことになる。普通の生活の、普通の様子さえも、映像として残すことが困難であった時代ということになる。

太平洋戦争については、その前からの日中戦争をふくめて、膨大な映像資料が残っている。それを、どのような視点からどうとりあげるのか、歴史をどう見るのか、まさに歴史観が問われることになる。

この放送では、亡くなった半藤一利のことばがいくつか引用されていた。半藤一利の本は、代表的なものは読んできたつもりであるが、やはり貴重な仕事をした人であったと思う。

2021年12月5日記