『青天を衝け』あれこれ「栄一と戦争」2021-12-14

2021-12-14 當山日出夫(とうやまひでお)

『青天を衝け』第39回「栄一と戦争」
https://www.nhk.or.jp/seiten/story/39/

前回は、
やまもも書斎記 2021年12月7日
『青天を衝け』あれこれ「栄一の嫡男」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/12/07/9446073

この回で描いていたのは、日露戦争と慶喜のこと。

このドラマ、残すところあと二回である。その二回で、栄一の晩年のところまで描くとなると、どうしてもこのようにならざるをえないのかとも思う。とにかく、展開が早い。

戦争について、栄一はどのように考えていたのだろうか。思い起こせば、戊辰戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争、そして、第一次世界大戦と、栄一の生きた時代は、戦争の時代であったともいえる。昭和六年、満州事変で日中戦争がはじまろうかというときに、栄一は亡くなっている。

今の時代のドラマであるから、戦争について、肯定的に描くことはできないだろう。かといって、この時代に生きた人間の感覚として、まったくの理想的非戦論というも、無理があると感じる。ここで、栄一が戦争についてどう考えていたか、このあたりをどうにか描いていたという印象である。

日本の近代を、「坂の上の雲」を目指した時代と考えるならば、日露戦争ぐらいまでが、どうにか戦争を肯定的に描ける限界というところだろうかと思う。どうも、脚本も、かなり苦労して書かれたと感じるところがあった。

また、晩年の慶喜のことばが重要になってくる。人間は、戦争するときにはするものである……慶喜は、このように語っていた。栄一の亡き後の、日中戦争、太平洋戦争にいたる過程を思ってみるならば、そうなるべくして戦争に突き進んで行った日本ということになるのかもしれない。

次回は、晩年の栄一が尽力した、日本とアメリカとの民間外交の話しになるようだ。残りわずかである。楽しみに見ることにしよう。

2021年12月13日記

追記 2021年12月21日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年12月21日
『青天を衝け』あれこれ「栄一、海を越えて」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/12/21/9449605