映像の世紀プレミアム(20)「中国 “革命”の血と涙」2021-12-24

2021-12-24 當山日出夫(とうやまひでお)

映像の世紀プレミアム (20) 中国 “革命”の血と涙

これで、四月からはじまった、「映像の世紀」「新・映像の世紀」「映像の世紀プレミアム」の再放送は、順番に全部見ていったことになるかと思う。どれも、録画しておいて、後日ゆっくりと見ることにした。

「中国」の回は、今年の八月の放送。この時も見ている。

私は、一九五五(昭和三〇)年の生まれであるので、物心ついて中国というものを意識するようになったとき、それは、毛沢東の国であった。子どものころ、ラジオをつけると、中国からの日本語放送が聞こえてきたのを覚えている。(これは、今でもあるのだろうか。)

改めて再放送を見て思うことを書いてみるならば、次の二点ぐらいになる。

第一は、映像についての資料批判。

冒頭は、中国共産党のプロパガンダ映画からはじまっていた。映像を映した後、実は、これは後になってから撮影された再現映像……まあ、やらせ映像であるのだろうが……であるとあった。このような指摘は、これまでの「映像の世紀」のシリーズでは、あまりなかったことである。

映像資料として残っているからといって、それが信じられるものではない。いや、場合によると、それが、やらせのプロパガンダ映像であることがわかるならば、そのプロパガンダの意図を見抜くことが、必要になってくる。

この意味では、天安門事件のときの、戦車の前に立つ男の映像の謎がきわだってくる。

第二は、文化大革命と天安門事件。

文化大革命も天安門事件も、中国の近代史にとっては大きな事件であると認識する。文化大革命については、今では、歴史的に評価することができる時点にいる。だが、天安門事件については、逆に、今なお歴史的にこの事件があったことすら、中国政府は公式に認めているとはいいがたい。それが、現在の中国のメディア政策に影を落としているといっていいだろう。

今から考えるならば、文化大革命は、東西冷戦のさなかにあって、そのすきまでおこった出来事のように思えてならない。(番組では、東西冷戦について触れることはまったくなかったが。)

見ていて、天安門事件が、まさに一九八九年の出来事であったこことについて認識を新たにした。ベルリンの壁の崩壊した年である。もし、このとき、天安門にあつまった人びとの声で、中国社会が変わることがあったなら、と思わずにはいられない。

以上の二つのことを思ってみる。

以前の放送のときにも感じたことだが、毛沢東についてのサルトルの発言の音声が残っているのは、とても興味深い。サルトルでも、毛沢東を評価していた時代があったのかと、改めて感じる。

番組の終わりは、現在の習近平の姿を写して終わっていた。これから、中国がどうなるかわからない。あるいは、あるでこごとをきっかけにして、激変する可能性がないではない。ともあれ中国を支配する王朝は、いずれ交替するときがくる。

それから、「映像の世紀」シリーズを再放送で見てきたことで、書いておくならば、もしこれから後、どのような企画があるかわからないが、実現するならば是非とも見たいものがある。それは……天皇、である。

2021年12月23日記