『戦中派不戦日記』山田風太郎2022-01-08

2022年1月8日 當山日出夫(とうやまひでお)

戦中派不戦日記

山田風太郎.『新装版 戦中派不戦日記』(講談社文庫).講談社.2002
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000202692

山田風太郎の原点である。

再読である。この「新装版」記載の書誌によると、1985年の旧版の『戦中派不戦日記』(講談社文庫)の「新装版」ということである。文字が大きくなっているのがわかる。以前に読んだことのあるのは、旧版の1985年版の『戦中派不戦日記』だったかと思う。

昨年(二〇二一)、山田風太郎の明治小説をまとめてよみかえした。『警視庁草紙』『幻燈辻馬車』などの一連の作品である。このとき、つづけて再読しておきたいと思ったのが、山田風太郎の『戦中派不戦日記』と『八犬伝』である。この冬休みの間(昨年のおわり)、『戦中派不戦日記』を読むことにした。

最初にこの本をよんだのは、1985年版だとすると、まだ私の若いころのことになる。その時に読んだ印象としては、さめた文語文の硬質な文体、その文章によって描き出される当時の世相と批判、それから旺盛な読書、といったところだろうか。

久しぶりに読みかえしてみて、基本的な印象はかわらない。戦中の記述が、文語文で書かれるのは、この文体でなければ書けないような、緊迫した精神状態であったことなのだろうと思う。

以前、読んだときに特に気にしなかったことがいくつかある。山田風太郎は、医学生として、目黒に住んでいた。昭和二〇年のことである。そのとき、昭和二〇年三月の東京大空襲を経験している。そのとき、目黒は被害にあわなかったのだが……空が明るくなって、目黒でも新聞が読めるほどであったとあった。いったいどれほどすさまじい空襲であったか、想像してみることになる。

また、目黒の空襲のことを描いてある。戦時中の目黒の空襲のときの様子は、向田邦子のエッセイで描写がある。(向田邦子のエッセイも、昨年、まとめて集中的に読みかえしたみた。)

私は、学生のころ、東京では目黒に住んでいたので、出てくる地名にはなじみがある。祐天寺、鳳神社など、歩いていく範囲にあった。その目黒の空襲のときのことが、この『戦中派不戦日記』にも詳しく書かれている。

私が、東京で暮らしていたころの目黒の街は、戦争の後に復興した街であったことになる。(なお、その当時、国電……いまではもうこんないい方しないが……の目黒駅の近くに、戦後の闇市の名残のような一角があったのを覚えている。)

それにしても、山田風太郎は、なんと冷静な目で時代のなりゆきを見つめていることかと、改めて感心する。医学生ということで、徴兵猶予になっていることもあったろう(だが、その将来は、軍医ということになっていた。)ほろびゆく日本、ほろびゆく東京、しかし、それでもしたたかに生きている人びとの姿、時代への批判のまなざし、これらが、硬質な文語文で活写されている。

もちろん、風俗資料として興味深い記述が多くある。戦時中の人びとのくらし、医学生の生活、疎開先での生活、闇市、混み合った列車、なるほどこれらは、その当時の目で見るならばこんなふうであったのかと、認識を新たにするところが多々ある。

そして、このような激動の時代をさめた目で見ることのできた山田風太郎だからこそ、その後の一連の明治小説が書かれることになったのだろう。価値観が大きく変転した時代のまっただなかを生きたことになる。それに翻弄されることになるのだが、しかし、どこか距離をおいて時代の動きを見ているところがある。山風太郎の戦争の体験は、明治小説のなかに投影されているといっていい。

この本は、貴重な記録でもある。読み継がれていってほしい本の一つである。

2022年1月7日記