『卍』谷崎潤一郎/新潮文庫2022-01-17

2022年1月17日 當山日出夫(とうやまひでお)

卍

谷崎潤一郎.『卍』(新潮文庫).新潮社.1951(2010.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/100508/

中公文庫の「少将滋幹の母」「盲目物語」と読んで、新潮文庫版で谷崎潤一郎作品を読んでいこうと思って読んでいる。まず『卍』からである。特に年代順に読もうと思って読んでいるわけではなく、適当にみつくろって読んでいる。ただ、『細雪』だけは最後にするつもりでいる。

「卍」は、二つの性格を持つ作品である。

第一に、大阪弁小説。

全編にわたり、大阪弁である。会話文のみならず、地の文まで大阪弁の語りでなりたっている。これは、谷崎潤一郎の関西移住後の作品であるので、非常に強く、大阪趣味を反映したものになっている。

読んで思うこととしては、大阪弁小説として成功していないと感じることになる。目で読む文章としては、大阪弁をそのまま書きことばにつかうのは、無理がある。

日本の近代以降の文章、特に小説の文章は、東京のことばを基盤として成立、発展してきたという経緯がある。それをわかったうえで、谷崎潤一郎は、あえて大阪のことばで文章を書こうとしていたことは理解できる。だが、それが小説として成功しているかどうかはまた別の問題がある。大阪のことばは、耳で聴くにはいいのだが、そのまま文章にするのは、無理がある。いや、そうではなく、日本の近代の書きことばが、東京のことばを基本に成立してきたので、大阪のことばを十分に書きあらわしえないというべきなのかもしれない。

第二に、同性愛小説。

これも、今日の性意識からすると、ちょっと無理をしているかなという印象がある。女性の同性愛を描いているのだが、やはりそれを描いている視点は、男性からのものである。現代で、同性愛をあつかうとすると、より女性の立場にたって描くことになるだろう。

だが、これも現代の視点だから言えることであって、この小説の発表された当時の性道徳意識からするならば、かなり破天荒な題材であり描写であったのだろうとは思う。

以上の二点、大阪弁小説としても、同性愛小説としても、今日の視点、価値観から読んでみるならば、いくぶん無理をして書いているかなと感じるところがある。

とはいえ、作品全体を読み終わって感じるのは、やはり谷崎潤一郎の描いた小説世界だなという感想である。登場するのは、主に一組の夫婦と一人の女性なのだが、この登場人物の感情のもつれが、くどいまでに緻密な心理描写と語りで描かれる。

2022年1月16日記

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