『鎌倉殿の13人』あれこれ「矢のゆくえ」2022-02-01

2022年2月1日 當山日出夫(とうやまひでお)

『鎌倉殿の13人』第4回「矢のゆくえ」
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/story/04.html

前回は、
やまもも書斎記 2022年1月25日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「挙兵は慎重に」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/01/25/9458705

いよいよ頼朝の挙兵である。

これから源平の争乱の時代を迎えることになるのだが、このドラマの脚本はコミカルである。

思ったこととしては、次の二点ぐらいを書いておきたい。

第一に、八重。

さて、八重は味方と思っていいのだろうか。確かに結果的には、北条や頼朝の手助けをしてくれるのだが、その本心はどうなのだろう。このあたり、はたして敵か味方が、その中間のあたりで、八重の気持ちは、揺れうごいているのかもしれない。ここしばらくは、八重の動向が、ドラマのなりゆきに大きく影響しそうである。

第二に、頼朝。

源氏の総大将ということであるが、本気なのか……まあ、一種の策士なのであろうかというイメージである。ただ、源氏のことだけを思っているわけでもなさそうだが、しかし、平家に対する敵意は強いようだ。それから、後白河法皇には、頭があがらない。ドラマだから、後白河法皇の生き霊が登場してもおかしくはないのだが、史実として頼朝と朝廷との関係はどうだったのだろうか。

以上の二つぐらいのことを思ってみる。

それにしても、後白河法皇など、院や朝廷のことは、このドラマではどのように出てくることになるのだろうか。ただ、平家の横暴の犠牲者ということなのだろうか。このあたりは、歴史考証と関係してくることになる。武家の政権とは別に、王権、王家ということを考えてみるのが、近年の歴史学の流れだろうとは思って見ている。

次回、挙兵のその後のことになる。(歴史の結果ということでは分かっていることなのだが)。どうなるか、楽しみに見ることにしよう。

2022年1月31日記

追記 2022年2月8日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年2月8日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「兄との約束」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/02/08/9462227

イロハモミジ2022-02-02

2022年2月2日 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日なので写真の日。今日はイロハモミジの種子である。

前回は、
やまもも書斎記 2022年1月26日
紫陽花の冬芽
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/01/26/9458962

写真を撮る範囲にいくつかの楓の木がある。早く紅葉するものもあれば、遅く紅葉するものもある。葉の形も見ると、違っている。特にどれがどの種類と図鑑などを見てみるのだが、今一つはっきりしないままでいる。

そのうち、この木には実が見えるものである。他にもいくつか楓の木はあるが、種子を確認できるものはないようだ。これは、木の上の方のことであるので私の目では確認できないということもあるのかもしれない。その中にあって、写した木は、崖っぷちに植わっているせいもあって、ちょうど目の高さに、その葉などを見ることができる。

春には、綠で少し赤い色の混じった種子を観察することができる。それが、秋から冬になると茶色っぽい色に変わる。これはかなり長い間、見ることができる。

庭の千両、万両の実はほとんど鳥が食べ尽くしてしまった。沈丁花の花の蕾が赤く色づいてきている。そのうち白い花を咲かせることだろう。

イロハモミジ

イロハモミジ

イロハモミジ

イロハモミジ

イロハモミジ

イロハモミジ

Nikon D500
SIGMA APO MACRO 150mm F2.8 EX DG OS HSM

2022年2月1日記

追記 2022年2月9日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年2月9日
沈丁花の冬芽
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/02/09/9462490

『北条義時』岩田慎平/中公新書2022-02-03

2022年2月3日 當山日出夫(とうやまひでお)

北条義時

岩田慎平.『北条義時-鎌倉殿を補佐した二代目執権-』(中公新書).中央公論新社.2021
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2021/12/102678.html

NHKの『鎌倉殿の13人』を見ていることもあって、この本を読んでおきたいと思った。中央公論新社としても、当然のことながらNHKのドラマをあてこんで出版したものと思う。

読んでみて思うことは、次の二点ある。

第一には、歴史書として。

タイトルは、「北条義時」となっているのだが、書いてあることは、むしろ平安時代の終わりから鎌倉時代の初めごろにかけての、武士というもののあり方であると読める。京の都、畿内近辺によりどころを持つ武士もいれば、それ以外の東国や西国の武士もいる。その武士の時代における職能……権門という用語をつかってあるが……の解説からはじまって、この時代のおおきな枠組みを説いていく。これは、これとして非常に興味深く読んだ。

歴史学の近年の知見にもとづいて、武士というもの、鎌倉時代という時代、これをどう全体としてとらえるかという視点から、この本は書かれている。

とはいえ、その所領の支配構造とか、経済的基盤がどうであったか、というような方向にはあまり踏み込んではいない。新書の一冊としてまとめるということでは、ここまで踏み込んで論じるということではないのかもしれない。

第二には、ドラマと関連して。

読んで、なるほど北条義時とはこんなことをした人物であったのか、鎌倉幕府とはこういう構造になっていたのか、北条政子とは何をした女性なのか……というあたり、ドラマの主要な登場人物や、事件……その最終の局面は承久の乱ということになるのであろうが……の数々が、興味深い解説されている。

では、このような歴史的なできごとを、ドラマではどのように描くことになるのか、これはこれとして非常に興味深いところである。

今までの放送と関連しては……たとえば、源氏と平家というが、実際の世の中では、これらの武士たちは混ざり合い絡み合って生きてきたことになる。それを、ドラマでは、源氏の頼朝が正義の側であり、平家の清盛が悪の側である、とかなり単純化して描いてあるのだが、ここはちょっと違うのではないかと感じるところがある。(まあ、歴史の結果として源頼朝が勝者になる話しなので、これはこれでいいかとも思うのだが。)

以上の二点のことが、読んで思ったことなどである。

鎌倉時代、武士の時代の入門書としても、また、NHKのドラマの参考書としても、よく出来ている本だと思う。

2022年1月27日記

『細雪 上』谷崎潤一郎/新潮文庫2022-02-04

2022年2月4日 當山日出夫(とうやまひでお)

細雪(上)

谷崎潤一郎.『細雪 上』(新潮文庫).新潮社.1955(2011.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/100512/

中公文庫の「少将滋幹の母」「盲目物語」から、新潮文庫収録の小説のいくつかを読んで、最後に『細雪』である。『細雪』は、近年、読みかえしている。

やまもも書斎記 2017年12月1日
『細雪』谷崎潤一郎(その一)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/01/8346499

やまもも書斎記 2017年12月2日
『細雪』谷崎潤一郎(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/02/8347924

やまもも書斎記 2017年12月3日
『細雪』谷崎潤一郎(その三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/03/8348853

やまもも書斎記 2017年12月4日
『細雪』谷崎潤一郎(その四)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/04/8349848

やまもも書斎記 2017年12月5日
『細雪』谷崎潤一郎(その五)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/05/8350837

やまもも書斎記 217年12月6日
『細雪』谷崎潤一郎(その六)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/06/8351963

また、川本三郎の本も読んでいる。

やまもも書斎記 2020年12月21日
『『細雪』とその時代』川本三郎
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/12/21/9328814

何年かぶりに『細雪』を読みなおして見て、いろいろ思うことがある。以前に読んだときに確認したことだが、谷崎潤一郎は、この『細雪』(上巻)を、昭和一七年に書いて発表している。だが、これは、発禁処分になった。

その描いている時代は、小説を書いた太平洋戦争中よりも少し前の時代、ちょうど日中戦争が始まったころの、昭和一二年から一三年のことになる(上巻)。この時代、今からふりかえれば、日中戦争がはじまって暗い世相の時代として歴史の上では語られることが多いと思うのだが、しかし、同時に、絢爛たる『細雪』の時代でもある。有名な、京都での花見の場面は、昭和一二年の春のこととして出てくる。

この時代にあって、大阪、阪神間の「中流」の家庭とはこんなものであったのか、と思う。が、これは、谷崎潤一郎がこの小説を書いた時点(太平洋戦争中)では、失われた過去のことになってしまっていた。すでに書いたことだが、『細雪』は、喪失と哀惜の物語である。(このことについては、すでに書いたので繰り返さない。)

今回、読みかえしてみて思ったことなのであるが、谷崎潤一郎の大阪ことば小説として、これは非常に興味深い。『細雪』は、大阪のことば、そのなかでも船場のことばを使った小説として知られているだろうと思う。

しかし、その目……国語学の目といっていいのだろうが……で読んでいくと、必ずしも船場のことばの小説にはなっていない。蒔岡の家族の人びとは、東京のことばもつかう。このあたり、場面によることば……方言……の切り替えが、非常に面白い。昔からの年配の人が相手のときは、船場ことばをつかう。それが、家族同士の場合は、ややくだけたその時代の阪神間のことばといっていいようになる。雪子は、見合いをするのだが、その見合いの場面で使っていることばは、いわゆる標準語、共通語……東京語を基本とする……に近い。

また、「上巻」で雪子は、東京の姉(鶴子)のところに行くのだが、東京でのこととして、雪子は大阪のことばで話しているとある。その鶴子の家族はというと、子どもたちは外(学校)では東京のことば、家では大阪のことばと、使い分けているようだ。

いってみるならば、『細雪』の言語生活……このようなものが浮かびあがってくる。昭和の戦前お時代、大阪において、古風な船場のことばが残っている一方で、ソトのことばとしての標準語、ウチのことばとしての大阪のことば、このような多重の構造になっていたことが観察される。

『細雪』は、上・中・下と、それぞれの巻によって成立の事情がことなっている。このことについては、すでに書いた。そして、それが分かった目で読んでいくと、上巻は、これはこれとして、一つのまとまった物語になっている。昭和一二年ごろの、阪神間の中流家庭の小説としてなりたっていることになる。

2022年1月16日記

追記 2022年2月5日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年2月5日
『細雪 中』谷崎潤一郎/新潮文庫
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/02/05/9461416

『細雪 中』谷崎潤一郎/新潮文庫2022-02-05

2022年2月5日 當山日出夫(とうやまひでお)

細雪(中)

谷崎潤一郎.『細雪 中』(新潮文庫).新潮社.1955(2011.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/100513/

続きである。
やまもも書斎記 2022年2月4日
『細雪 上』谷崎潤一郎/新潮文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/02/04/9461185

上巻につづけて読んだ。『細雪』は、上・中・下の巻で、それぞれ成立の事情が異なる。中巻は、上巻が発禁処分になってから、戦時中に書き続けられた部分になる。ただし、刊行は、戦後になってからである。

川本三郎は、『細雪』は、雪子ではなく、妙子の物語である……このような意味のことを述べていた。これには、いくぶん同意できるところがある。中巻を読んだ印象としては、この小説の主人公は、妙子ではないだろうかと感じる。この中巻では、雪子の縁談などは進展がないし、雪子もほとんど登場しない。

中巻で圧巻であるのは、神戸の水害の描写だろう。これは、史実をふまえて書いているところになる。日本文学のなかで、自然災害をどう描写してきたかというのは、ある意味で興味深い論点かもしれないが、もしこの論点から考えるとするならば、『細雪』の水害のシーンは、まず取り上げられることになるだろう。

この水害を契機にして、妙子と板倉は関係を深めることになる。だが、その板倉も、中巻の終わりの方で、病気で死んでしまう。

中巻を読んで思うこととしては、次の二点ぐらいを書いておきたい。

第一に、妙子の物語として。

自立する女性として妙子は生きている。手に職をつけ(人形の制作、それから、洋裁)、蒔岡の家から独立して、生きていこうとしている。その妙子に対して、姉たち(鶴子、幸子、雪子)は、さまざまな反応をしめすことになる。妙子に理解をしめし、それを援助するという気持ちもある。また一方で、妙子が「職業婦人」になることを、否定的にとらえる考え方も残っている。

「職業婦人」といえば、蒔岡の家では、女中が何人もいる。だが、その女中たちは、「職業婦人」とは認識されない。ここには、明瞭な身分意識がある。妙子と板倉の結婚話が、なかなか進展しないのも、障害となっている一番の理由は、身分の違いである。

昭和戦前の大阪、阪神間の、「中流」の家庭にあった、身分意識とはこんなものだったのかと、強く思うことになる。これは、現代、二一世紀の時代から振り返ってみれば、因循姑息な発想にちがいないが、しかし、その当時の、この小説の登場人物たちの気持ちとしては、そのようなものだったのであろう。

第二に、戦時中に書かれた作品として。

中巻は、戦時中に書かれた。谷崎は、どう思ってこの作品を書いていたのであろうか。上巻を雑誌に発表した時点で、これは発禁処分になった。このあたりの執筆の事情とか、谷崎の心情とか、谷崎潤一郎研究の分野では、すでに語られているところだろうとは思う。

ともあれ、中巻だけを取り出して読むとしても、昭和一三年から一四年にかけての、妙子の物語、経済的にも、家の因習からも、独立して生きていこうとしている女性の物語として、まとまった作品にしあがっている。

戦時中によくぞこれだけの作品を書いていたものであると、今になって読んでみて、つくづくと谷崎潤一郎の作家としての強靭さを、思うことになる。

以上の二つぐらいのことを思ってみる。

続いて下巻である。いよいよ、雪子の結婚がまとまる部分になる。後期の授業が終わって、残るは採点ぐらいという状況である。続けて下巻を読むことにしたい。

2022年1月20日記

追記 2022年2月7日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年2月7日
『細雪 下』谷崎潤一郎/新潮文庫
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/02/07/9461964

『カムカムエヴリバディ』あれこれ「第14週」2022-02-06

2022年2月6日 當山日出夫(とうやまひでお)

『カムカムエヴリバディ』第14週
https://www.nhk.or.jp/comecome/story/details/story_details_14.html

前回は、
やまもも書斎記 2022年1月30日
『カムカムエヴリバディ』あれこれ「第13週」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/01/30/9459909

ひなたは小学生になった。

この週で印象に残っていることとしては、次の二点ぐらいだろうか。

第一に、夏休み。

京都の小学生の夏休みである。普通ならば、八月の地蔵盆が終わってから夏休みの宿題に手をつけるぐらいだろうと思うのだが、そういう展開ではなかった。これは、地蔵盆を大阪のクリーニング屋さんのところで使ってしまったせいかとも思う。京都の街の小学生の夏休みの生活が、印象深かった。

第二に、映画村。

ひなたは時代劇が大好きである。映画村が出来たので連れていってもらう。このあたりは、史実をなぞって作ってあるようだ。が、ロケは実際の映画村ではなく、NHKのものを使ったようだった。

そういえば、この時代までは、テレビで時代劇が多く作られていた。「木枯し紋次郎」も「必殺シリーズ」も、この時代になるだろうか。

以上の二つぐらいが印象に残っているところである。

しかし、夏休みの宿題を友達に手伝ってやってもらうのはいいとしても、やはり、宿題は自力でやってこそ意味があると思うのだがどうだろうか。

次週、成長したひなたになるようだ。英語講座もどうなるだろうか。楽しみに見ることにしよう。

2022年2月5日記

追記 2022年2月13日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年2月13日
『カムカムエヴリバディ』あれこれ「第15週」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/02/13/9463636

『細雪 下』谷崎潤一郎/新潮文庫2022-02-07

2022年2月7日 當山日出夫(とうやまひでお)

細雪(下)

谷崎潤一郎.『細雪 下』(新潮文庫).新潮社.1955(2011.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/100514/

続きである。
やまもも書斎記 2022年2月5日
『細雪 中』谷崎潤一郎/新潮文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/02/05/9461416

『細雪』(上中下)を読み返すのは、何度目かになる。若い時にも読んでいる。また、映画(市川崑監督)も見ている。そのせいか、『細雪』を読んでいると、どうしても、吉永小百合や古手川祐子のイメージが、思い浮かんでしまう。

下巻は、戦後になって書かれた。上巻は、戦時中に発表して、発禁処分。中巻は、戦時中に執筆。戦後になって、こんどは、GHQの検閲があるなかで書かれたことになる。『細雪』は、今から振り返ってみるならば、当局による検閲のもとに執筆された作品である。

だが、下巻まで読み終わって感じることは、それぞれ成立の事情を異にする、上中下の巻であるが、『細雪』全体として、まとまりのある文学世界を構築していることである。やはり、これは、谷崎潤一郎ならではの仕事と言わざるをえない。

また、知られていることとして、谷崎潤一郎は、『細雪』の執筆にさきだって、『源氏物語』の現代語訳を行っている。『細雪』が、現代版の『源氏物語』とも称されるゆえんである。そのように思って読むとであるが、なるほど、『源氏物語』を訳した作家の手になる作品であると感じるところがある。

その第一は、屈折した心中思惟である。主に、幸子のこころのうちを描写することが、この小説は多いのであるが、その心中思惟の描写、ああでもこうでもない、ああしてみようかそれともこうしてみようか、いや、やはり別に考えてみると……と、いったりきたりしながら、綿々と考えていく心のうちを描写してある。これは、まさに、『源氏物語』を読んで感じるものに、通じるところがある。

その第二は、女中(お春)や婆やのことばなどである。基本的にこの小説は、幸子の視点から描かれる。第三人称視点をとらない。幸子の視点を超えたところの描写が、お春や婆やの台詞となって、延々と語られる。このあたり、『源氏物語』でいえば、「宇治十帖」に登場する弁のことを、思い出してしまう。

このようなことを思ってみる。

『細雪』が、基本的に幸子の視点から描かれるとはいっても、下巻まで読んでいくと、ところどころで、幸子を離れて第三人称視点に変わっているところがある。時々、雪子の描写になる。最後の下痢の部分は、幸子の視点をはなれて、雪子の描写になっている。

ところで、『細雪』は、ハッピーエンドの物語なのであろうか。そうとは思えない。この小説は、昭和一六年のはじめで終わっている。その後におこったことは、太平洋戦争とその敗北であり、GHQによる日本統治である。

東京にある渋谷の鶴子の家は、空襲で焼かれることになるだろう。幸子は、どうなるかわからない。おそらくは空襲の被害にあうかと思われる。雪子は、結婚はかなうかもしれないが、無事に幸せに生活できるということはないであろう。戦後の改革で華族という制度がなくなる。妙子も、その男性遍歴の結果がどうなるかわからない。

どう考えてみても、『細雪』はハッピーエンドの小説ではない。『細雪』に描かれた、阪神間の裕福な中流家庭の生活文化というものは、戦争で喪失するほかはない。この小説は、やはり喪失と哀惜の物語として読むことになるのだろうと思う。読み終わった充足感の後にくるものは、この小説で描かれた世界は、無くなってしまったものでしかない、という感慨でもある。

だが、その喪失感こそが、この作品を普遍的な文学作品たらしめている本質につながるものであることも確かなことだと思う。

2022年1月27日記

『鎌倉殿の13人』あれこれ「兄との約束」2022-02-08

2022年2月8日 當山日出夫(とうやまひでお)

『鎌倉殿の13人』第5回「兄との約束」
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/story/05.html

前回は、
やまもも書斎記 2022年2月1日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「矢のゆくえ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/02/01/9460486

今回の見どころはなんといっても夜の合戦場面であろう。

石橋山の合戦である。ここで頼朝は敗れることにはなる。(その後、再起して最終的には、平家に勝つ。)この合戦シーン、夜の合戦ということで、松明が効果的に演出としてつかわれていた。これは、テレビの撮影技術の進歩ということも背景にあるにちがいない。

三谷幸喜の脚本は、そのことばが興味深い。あまり時代劇語というべきことばを使用しない。また、時代考証ということで、特にその時代……このドラマであれば、平安末期から鎌倉初期になるだろうが……ということも意識させない。現代的なことばで話している。これはこれとして、一つの方針であると思う。

また、以前の『真田丸』で使われた碁石をつかっての、合戦における敵味方の説明。同じ小道具はどうかなと思うところがないではないが、しかし、ドラマを分かりやすく説明するということでは、実に効果的ではある。

このドラマでは、男性には徹底的に烏帽子をかぶらせる方針のようだ。これは正しい判断だと思うのだが、それなら、女性の座り方として立て膝で座らせるのがいいと感じてしまう。この時代のドラマとしては、その方が自然だと思うのだがどうだろうか。

ところで、宗時の言っていたことば……平家でも源氏でもない坂東武者の世をつくりたい、と。これが、この先、このドラマのどのような伏線になっていくのだろうか。(結果的には、源氏が平家を滅ぼして、鎌倉幕府ということになるのだが。)

次回、石橋山の戦いのその後のことになる。続きを楽しみに見ることにしよう。

2022年2月7日記

追記 2022年2月15日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年2月15日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「悪い知らせ」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/02/15/9464428

沈丁花の冬芽2022-02-09

2022年2月9日 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日なので写真の日。今日は沈丁花の冬芽である。

前回は、
やまもも書斎記 2020年2月2日
イロハモミジ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/02/02/9460725

冬の間であるので、花の写真は撮れない。身近なところで、草花の冬の様子を撮っている。

写してみたのは沈丁花である。これは、春先になると白い花を咲かせる。が、まだ咲かない。見ると赤紫色の冬芽、あるいは、蕾と言った方がいいかもれいないが、いくつか見ることができる。この冬の寒さが終わって、春めいてくるころになると咲くだろうかと思う。

家の裏手にある。ほぼ毎日のように目にする木である。白い花が咲くころになると、外に出るとまず目に入る花になる。

今年の冬は、雪が降っていない。今のところは、であるが。毎年、一回ぐらいは地面が一面に白くなるときがあるのだが、今年は、雪がちらほら舞うときはあっても、積もるというところまではいかない。天気予報など見ていると、日本海の北から雪雲が流れ込んでくるとき、京都のあたりで降っていても、我が家のあたりまでは降らない。京都からは、山を越える必要がある。

雪景色を写真に撮ってみたい気もするのだが、山の中の我が家としては、雪が降ると困る。自動車で外に出られなくなる。どうなるかわからないが、この冬は、雪の積もるのを見ることなく終わりそうな予感である。

沈丁花

沈丁花

沈丁花

沈丁花

沈丁花


Nikon D500
TANRON SP 90mm F/2.8 Di MACRO 1:1 VC USD

2022年2月8日記

追記 2022年2月16日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年2月16日
雨のしずく
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/02/16/9464645

『アリスが語らないことは』ピーター・スワンソン/務台夏子(訳)2022-02-10

2022年2月10日 當山日出夫(とうやまひでお)

アリスが語らないことは

ピーター・スワンソン.務台夏子(訳).『アリスが語らないことは』(創元推理文庫).東京創元社.2022
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488173074

東京創元社のピーター・スワンソンの翻訳作品としては、三作目ということになる。創元推理文庫版においては、原題とは別に、登場人物の名前をタイトルにつける方針のようだ。この作品の原題は、「ALL THE BEAUTIFUL LIES」である。そう思って読むせいか、いったい誰がどんな嘘をついているのか、気になる展開の作品である。

そして、これは傑作である。今年(二〇二二)の一月の刊行であるが、たぶん今年の年間ミステリのベストに入るにちがいない。

物語は、二つのストーリーが平行してすすむ。現在の部分と、過去の部分である。この二つのストーリーに共通して登場するのが、アリスという女性。では、はたしてアリスは、どんな嘘をついているのか。いや、もうちょっと厳密に言ってみるならば、いったい何を語っていないのか。

アリスのからんだ二つのストーリーが一つになるとき、事件の真相があきらかになる。これは、見事な作りになっている。一級のミステリといってよい。

この作品、決して少なくない登場人物が出てくるのだが、どの登場人物も人物像がはっきりしている。現在と過去と行ったり来たりする展開ではあるのだが、混乱することなく、読み進められる。このあたりは、『そしてミランダを殺す』の作者だけのことはあると思う。

また、この作品は、古書店が出てくる。そして、有名なミステリ作品も中で登場する。ミステリ好きにとっては、このあたりのサービスがとても興味深い。

今年、他にどのようなミステリ作品が刊行になるかわからないけれども、しかし、ここしばらくのようにアンソニー・ホロヴィッツが一位でなければ、この作品が今年の一位になってもいいと思う。

2022年2月5日記