『川端康成・三島由紀夫 往復書簡』新潮文庫2022-03-21

2022年3月21日 當山日出夫(とうやまひでお)

往復書簡

川端康成.三島由紀夫.『川端康成・三島由紀夫 往復書簡』(新潮文庫).新潮社.2000(新潮社.1997)
https://www.shinchosha.co.jp/book/100126/

川端康成と三島由紀夫とは師弟関係にあった。このような二人の往復書簡(昭和二〇年から、四五年まで)であるが、文庫本の形で読めるようになっているのは、珍しい。いや、作家の往復書簡というものが刊行されること自体が珍しいのである。

この本を読んで思うことがいろいろとある。二つばかり書いておく。

第一には、川端康成も三島由紀夫も「芸術家」なのであるということ。

今、小説家は「芸術家」だろうか。一般に「芸術家」といわれるのは、音楽とか美術の分野にかたよっていると思う。しかし、少し前までは、文学者も「芸術家」であったのである。「芸術家」としての文学者であったのは、私の読んだ範囲でいうならば、川端康成とか三島由紀夫あたりまでという気がしてならない。

この書簡集を読んで感じるのは、「芸術家」どうしの手紙のやりとりであり、交流である。

第二には、時代を感じるということ。

この書簡集は、昭和二〇年の、三島由紀夫がほとんどまだ無名の作家の時代のころからはじまっている。そして、書簡は、三島由紀夫の最期の年である、昭和四五年までつづく。この間の、特に三島由紀夫の文学活動について言及するところが多い。その時代の社会の雰囲気、文学の世界の様子、そこでの様々な作家活動について、お互いに思うことが述べてある。

まさに、昭和四五年の三島由紀夫の最後の書簡を読むと、そのしばらく後に市ヶ谷で起こす事件のことについて、覚悟を決めていたことが、理解される。

これはこれとして、貴重な文学史の証言になっていると感じるところがある。

以上の二点のことを思ってみる。

今年にはいって、谷崎潤一郎を読んで、川端康成を読むことにして文庫本で手に入るものということで、いくつかを読んできた。この次は、三島由紀夫を読んでみたいと思う。三島由紀夫は、若い時に一通り読んだ作家であるが、その後、遠ざかったしまっている。これも、普通に手に入る文庫本ということで、読んでおきたい。

2022年3月20日記