『潮騒』三島由紀夫/新潮文庫 ― 2022-04-29
2022年4月29日 當山日出夫(とうやまひでお)

三島由紀夫.『潮騒』(新潮文庫).新潮社.1955(2020.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/105044/
若いときに読んだ作品である。何度か映画化されているのだが、私は映画になった『潮騒』は見ていない。(若いとき、映画は好きだったが、アイドルをつかったような映画はあまり好きではなかった。)
三島由紀夫というのは、意識、認識について書いた文学者であると思っている。場合によっては、それが過剰にも感じられる。少なくとも、素朴な意味でのリアリズムの作家ではない。
この小説は、リアリズムの純愛小説として読める。しかし、他の三島由紀夫の作品を読んだ目で見るならば、一見するとリアリズムに見えるこの小説のあり方は、全部まるごと、認識の生み出した虚構の世界であるとも感じとれる。およそ文学とは虚構であるという意味では、この小説も虚構の産物、認識の作りだした世界である。
私がこの純愛小説(といってもいいだろう)に感じとるのは、その根底にある壮大な虚構を生み出す認識である。
とはいえ、読みなおしてみて、印象に残っているのは、やはり、焚き火のシーンである。近代の日本文学のなかで、最も印象に残るシーンの一つではないだろうか。
2022年4月19日記
https://www.shinchosha.co.jp/book/105044/
若いときに読んだ作品である。何度か映画化されているのだが、私は映画になった『潮騒』は見ていない。(若いとき、映画は好きだったが、アイドルをつかったような映画はあまり好きではなかった。)
三島由紀夫というのは、意識、認識について書いた文学者であると思っている。場合によっては、それが過剰にも感じられる。少なくとも、素朴な意味でのリアリズムの作家ではない。
この小説は、リアリズムの純愛小説として読める。しかし、他の三島由紀夫の作品を読んだ目で見るならば、一見するとリアリズムに見えるこの小説のあり方は、全部まるごと、認識の生み出した虚構の世界であるとも感じとれる。およそ文学とは虚構であるという意味では、この小説も虚構の産物、認識の作りだした世界である。
私がこの純愛小説(といってもいいだろう)に感じとるのは、その根底にある壮大な虚構を生み出す認識である。
とはいえ、読みなおしてみて、印象に残っているのは、やはり、焚き火のシーンである。近代の日本文学のなかで、最も印象に残るシーンの一つではないだろうか。
2022年4月19日記
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