『午後の曳航』三島由紀夫/新潮文庫2022-05-05

2022年5月5日 當山日出夫(とうやまひでお)

午後の曳航

三島由紀夫.『午後の曳航』(新潮文庫).新潮社.1968(2000.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/105046/

若いときに読んだ作品である。そのころ、たしか、これは映画になった。日本映画ではない。フランスの映画だったかと思うが、今となっては定かではない。

読んだときの印象として憶えていることは、この作品の最後の一言が余計だと感じたものである。もし、私が小説家だったならば、最後の一言は書かない。あるいは、別のことばで終わりにしたい気がする。(さて、映画では、この最後はどのようなシーンで終わっているのだろうか。)

このような感覚……読み終わって最後の一言が余計であると感じるところは、他の三島作品についてもある。『金閣寺』のラストは、私にはどうも好みにあわない終わり方になっている。さらに書けば、「豊饒の海」の『天人五衰』の終わり方も、今一つ納得いかないところがある。

このように思ってはみるのだが、しかし、歳をとってから改めて三島由紀夫の作品を再読していってみると、なるほど、このような小説の終わり方であってもいいのかという気にもなってくる。

『午後の曳航』であるが、小説の作り方としては、多重構造になっている。未亡人のまだ若い母親と船員との関係。そして、男の子供。基本的にこの三人の創り出すドラマ。

もう一つは、少年たち。ごく普通の少年なのだが、ちょっと変わっている。端的にいえば、まさに小説のなかに造形された「少年」なのである。大人の世界との亀裂。少年にとって、「少年」たちの世界は完璧でなければならない。それを壊すものは、排除されることになる。(これは、まさに「金閣寺」が焼かれなければならなかったことに通じるものなのだろう。)

この意味では、一つの観念……完璧であるべき世界をめぐる意識と行動、その結末としての破局、このように読むこともできるだろうか。

それはともかく、この小説を映画にしたくなる理由は、読んで分かるような気がする。

2022年5月1日記

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