『鎌倉殿の13人』あれこれ「変わらぬ人」2022-06-21

2022年6月21日 當山日出夫

『鎌倉殿の13人』第24回「変わらぬ人」
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/story/24.html

前回は、
やまもも書斎記 2022年6月14日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「狩りと獲物」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/06/14/9499732

この回、あまり義時の出番はなかった。そのかわりにメインに描いていたのは、大姫のこと。

見ていて思ったことだが、この時代(鎌倉時代の初期)、個人の一人の幸福というような考え方があっただろうか。このあたり、ちょっと気にはなる。まあ、これも、歴史を舞台にして作ってある現代のドラマであると思って見れば、いいようなものかもしれない。

それにしても、頼朝は権力者である。このドラマは、権力とはどのようなものであるのかを描こうとしているように思える。

ところで、一番の「ワル」というと、あるいは、大江広元かもしれない。そう多く登場しているということではないが、要所要所に出てきて、鎌倉幕府の行く末にかかわることになる。

そして、面白いのが、善児。これは架空の人物なのだが、ドラマの展開の重要なポイントで登場している。こうなってくると、これから描かれるであろういくつの死……頼朝が死に、頼家が死に、さらには、実朝が死ぬことになる……このところにもからんでくるのだろうか。楽しみといえば楽しみである。

さて次回以降、鎌倉幕府はどうなるのか。楽しみに見ることにしよう。

2022年6月20日記

追記 2022年6月28日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年6月28日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「天が望んだ男」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/06/28/9504044

山吹2022-06-22

2022年6月22日 當山日出夫

水曜日は写真の日。今日はヤマブキである。

前回は、
やまもも書斎記 2022年6月15日
ガマズミ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/06/15/9500046

これも、四月の撮りおきのストックからである。

だいたい桜の花が咲いてしばらくすると山吹の花が咲く。我が家にあるのは、八重咲きである。黄色い花が遠くからでも目立つ。

花は比較的多く咲くし、花の時期もわりと長いのだが、写真に撮るとなると適当な花を探すのが難しい。それに去年、少し剪定したこともあって、枝にたわわに花が咲くという状態ではなくなってしまっている。おおむねどの花もそうかと思っているが、山吹の花の写真は、夜明け後の柔らかな光のときがいい。日中になって太陽が高くなってからでは、どうも綺麗な色の写真にはならない。というよりも山吹の黄色い色がきつく出過ぎるという印象がある。

外に出ると合歓木の花が咲きはじめている。足下をみると、草むらには都草の黄色い花も見える。そろそろ梔子の花が咲きはじめるころである。

山吹

山吹

山吹

山吹

山吹

山部子

Nikon D500
SIGMA APO MACRO 150mm F2.8 EX DG OS HSM

2022年6月21日記

追記 2022年6月29日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年6月29日
シャガ
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/06/29/9504336

世界サブカルチャー史 欲望の系譜 アメリカ 幻想の70s2022-06-23

2022年6月23日 當山日出夫

世界サブカルチャー史 欲望の系譜 アメリカ 幻想の70s

これは月に二回の予定で放送するようだ。今月(六月)は、七〇年代、八〇年代。

七〇年代が、現代にいたるサブカルチャーの歴史の原点ということになるのだろうか。私は、一九五五年の生まれであるので、この番組のなかに登場したほとんどの映画などは知っている。全部見ているということではないが、少なくともそれが日本で上映されたときのことは憶えている。

「奥様は魔女」は憶えている。あれが、「普通」のアメリカの暮らしとして、多くの日本の人びとに理解されてきたということはあったと思う(ただ、その奥様が魔女であるという例外をのぞいてであるが。)その「普通」が崩壊していくプロセスが、七〇年代の歴史でもあったことになる。そして、その大きな要因の一つがベトナム戦争。

ベトナム戦争のことは、私の記憶のうちのことである。その当時は、あまり考えることなく、ただテレビのニュースを見ていただけということもあるが、ただ、最後のサイゴン陥落のときのことは、憶えている。なんとなく一つの時代が終わったと感じたものであった。

ただ、この番組は、アメリカのことが中心になっていたので、日本のことがまったく出てきていないのが、気になるといえば気になる。日本では、安保闘争の時代であった。この時代の出来事がその後の日本に何を残したか、まだ明確にはなっていないと言ってもいいのかもしれない。

ところで、最近読んだ本、『どうにもとまらない歌謡曲』(舌津智之、ちくま文庫)。これは、日本の七〇年代の歌謡曲の、ジェンダー論からの分析を中心とする。まさにこの時代が、日本の歌謡曲の時代であり、同時に、ベトナム戦争の時代でもあったことになる。

体験的にこの時代のことを憶えている人間の一人としては、いろいろと思うことがある。いやそれよりも、もう特に語りたくはないという気持ちもある。この時代のことを歴史的に振り返って考えるのは、これからの新しい人たちの仕事になるのかと思う。

それから印象に残っていること……アメリカは抵抗の国である、ということ。なるほどそうかもしれないと思う。ロシアのウクライナ侵略に対する態度を見ても、基本的に抵抗ということがあるように感じられる。もちろん、この抵抗ということは、時代により、またどのような人びとの何に対する抵抗か、大きく変わることではある。しかし、七〇年代のカウターカルチャーの発生から、それをうけつぐ今日までの流れのなかに、抵抗をよしとする精神的伝統というものが、あるのかもしれない。

ともあれ、登場する映画などなつかしくもあり、また、いろいろと思うことの多い番組であった。

2022年6月22日記

映像の世紀バタフライエフェクト「砂漠の英雄と百年の悲劇」2022-06-24

2022年6月24日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト 砂漠の英雄と百年の悲劇

アラビアのロレンスのことは、これまでの「映像の世紀」シリーズでも出てきていたし、ユダヤ人のこと、パレスチナの問題なども、取り上げられてきた。そう特に目新しい観点からの番組ということではなかったと私には思われるのだが、しかし、パレスチナ問題は今においても重要な国際問題であり続けている。その、問題の発端はどのあたりかとなると、やはりアラビアのロレンスのことから説き始めるの順当なところかとは思う。

興味深かったのは、テルアビブ事件のこと。この事件の映像を見るのは久しぶりであるように思う。テルアビブ事件と、今日にまで続く自爆テロを結びつけて考えることは、慎重であっていいかとも思いもするが、なるほどこのような考え方で結びつくのかとも思う。

それから、バンクシーが作品を製作しているシーン、これを映像で見るのは始めてになるかもしれない。これはこれとして非常に興味深かった。

パレスチナ問題は難しい。ただ、イスラエルを悪としてしまえばかたのつく問題ではない。民族と宗教と国家、そして、石油などの利権が複雑にからんで今の姿がある。このことについては、これからも折に触れて考えていかなければとは思っている。

2022年6月22日記

『夕暮れに夜明けの歌を』奈倉有里2022-06-25

2022年6月25日 當山日出夫

夕暮れに夜明けの歌を

奈倉有里.『夕暮れに夜明けの歌を-文学を探しにロシアに行く-』.イーストプレス.2021
https://www.eastpress.co.jp/goods/detail/9784781620121

話題の本ということで読んでおくことにした。いい本である。およそ文学について考えることのある人は手に取る価値ある。

この本が刊行になったのは、二〇二一年。まだ、ロシアのウクライナ侵略の前のことである。だが、この本において、二〇一四年のクリミア併合のことに言及して、ロシアとウクライナの問題を、深く考えてある。といっても、国際政治の分析ではない。国家と言語、そして、文学、文化というものと、大きな歴史の流れを見つめている。その視線は、おだやかではあるが、しかし、するどい。

また、この本はこれまでの著者の経歴をなぞって記述してある。子供のときの思い出からはじまって、ロシアへの留学。そこでの勉学。なかんずく、ロシア文学を読み、学ぶということのもつ意味について、深く静かに考察をめぐらしてある。

その傍ら、ロシアでの学生生活の様子の記述が興味深い。なるほどロシアの学生、ペテルブルグやモスクワの学生やそこに住んでいる人びとは、こんなふうな生活を送っているのか、その一端をかいまみることができる。(その記録としても、この本は貴重であると思う。)

この本は、ロシアのウクライナ侵略ということで注目されていると思う。だが、このような歴史的政治的事情を抜きにして、ただ、文学について語るとはどういうことなのか、思いをめぐらせるときに傍らにあっていい本である。文学というものの普遍性に眼差しが向いている。

2022年6月15日記

『ちむどんどん』あれこれ「ポークとたまごと男と女」2022-06-26

2022年6月26日 當山日出夫

『ちむどんどん』第11週「ポークとたまごと男と女」
https://www.nhk.or.jp/chimudondon/story/week_11.html

前回は、
やまもも書斎記 2022年5月19日
『ちむどんどん』あれこれ「あの日、イカスミジューシー」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/06/19/9501264

六月二三日の木曜日、放送の最後の写真のところは、仲間由紀恵と黒島結菜だった。

一九七〇年代の終わりごろのことになるが、この時代として、今で言うジェンダーの問題は、意識することはあったとしても、そう深く社会問題として取り上げられることはなかったように記憶する。(と言って、今日において、問題が解決しているということではないが。)

ともあれ、シェフ代行の一件で、暢子はさらに料理人としてのステップを一段階上がったことになる。この意味では、このドラマは安心して見ていられる。いろいろとトラブルはあるのかもしれないが、金曜日になるとうまく収まっている。これは、これとして、一つのドラマの作り方の方針としてあっていいと思う。以前にこのような展開で作った朝ドラとしては、『梅ちゃん先生』があったと思う。

これまで朝ドラでは、頑張って努力する女性という姿が基本にあった。これは、今日において一つの転換点を迎えているのかもしれない。ジェンダー格差への問題意識のある今日において、リアルに過去のある時代をそのまま描くことは、難しいだろう。かといって、それが無かったかのごとくも描けない。このあたりのバランス感覚が、非情に難しいと思う。この観点からは、いくらでも、このドラマを批判的に見ることもできるかもしれないが。

さて、次週は、恋のドラマとなるようなのだが、どうなるだろうか。そして、ニーニーはどうなるかと思う。無事に養豚場の仕事がつとまるだろうか。楽しみに見ることにしよう。

2022年6月25日記

追記 2022年7月3日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年7月3日
『ちむどんどん』あれこれ「古酒交差点」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/07/03/9505600

ブラタモリ「大原」2022-06-27

2022年6月27日 當山日出夫

ブラタモリ 大原

土曜日の夜の放送、録画しておいて日曜日の朝にゆっくりと見た。

京都大原三千院……「女一人」であるが、この歌を聞くたびに思うことがある。「池の水面」を、「みなも」と読むか「みずも」と読むか、歌う歌手によって違っていることである。私の感覚としては、「みなも」と読んでおきたいところなのであるが、ここは正しくはどうなのだろうか。

大原には、高校生のころに行ったことがある。バスに乗っていったのを憶えている。三千院にも行ったと思うし、寂光院にも行ったと思う。ただ、今となっては、すっかり忘れてしまっていることであるが。

近年は行っていない。寂光院が火災にあったことは、ニュースで知ったが、その姿を直に目にしたことはない。

記憶では、確か、大原には、建礼門院右京大夫の墓と伝えられるところああったかと思うのだが、どうだったろうか。

ところで、番組の中で、大原女の運んだ柴のことが出てきていた。以前、学生に、レポートの書き方を教えるとき、簡単な作文の課題として、「桃太郎」を書かせていたことがある。日本文学などを学ぶ学生にとって、日本の昔話を知っていることは、これは重要なことでもある。このとき、ほとんどの学生が、「しばかり」を「芝かり」と書いていた。「芝」ではなく「柴」なのだと教えることがしばしばだった。

今の学生にとって、かまどで火をもやすなどのことが経験的に無いはずである。風呂もガスか電気温水器だろう。「柴」というものの実際を目にすることは無いにちがいない。これが、書けないのも無理はないかという気にはなる。

しかし、多くの日本の人びとの生活のなかから、「柴」というものが姿を消したのは、そう古いことではない。御飯を炊くのに、昭和三〇年代に、電気炊飯器が発売されるまで、多くの家庭では薪で焚いていた。日本の人びとの生活様式が大きく変化したのは、近年のことになる。

2022年6月26日記

『鎌倉殿の13人』あれこれ「天が望んだ男」2022-06-28

2022年6月28日 當山日出夫

『鎌倉殿の13人』第25回「天が望んだ男」
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/story/25.html

前回は、
やまもも書斎記 2022年6月21日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「変わらぬ人」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/06/21/9501938

頼朝は死んだ。馬から落ちた。このあたりは、史書の記述をなぞっての作りである。が、その直接的な死因が何であるかは、不明と言ってよい。

このドラマも、半年が過ぎて、ようやく頼朝の死というところまできた。振り返ってみるならば、かなり印象に残る頼朝像をドラマで描いていたと思う。源氏の嫡流という貴種であり、武家の棟梁であり、女好きであり、権力者である。その多面的な魅力を、このドラマでは様々な角度から描いてきたと思う。

ところで、このドラマは、鎌倉幕府というのをどう位置づけているのだろうか。このあたりが今一つはっきりしないように思われる。平家の横暴をただす、という意図で源氏の世を作ったということは分かる。ではその後どうするのか、平家のように娘を天皇の后として、政権にかかわろうともする(これは、頓挫することになるのだが。)また一方では、東国の鎌倉に、京都の朝廷とは異なる新しい武家の政権を作ろうとしているようにも思える。このあたり、今の歴史学における鎌倉幕府の位置づけとして、どう作ってあるのかと思うところがある。

ともあれ、ここで頼朝が死に、次は頼家になる。そして、その後、実朝となり、これも非業の最期をとげる。歴史の結果としては、源氏は途絶えて、北条氏に権力が移る。

おそらくこのドラマの最後のところは、承久の乱というあたりになるだろう。時の権力者となる義時をどう描くことになるだろうか。今のところ、義時は、幕府の権力の側の一員ではあるが、まだその頂点にたつということはない。これから義時はどう生きていくことになるのか。楽しみに見ることにしよう。

2022年6月27日記

追記 2022年7月5日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年7月5日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「悲しむ前に」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/07/05/9506203

シャガ2022-06-29

2022年6月29日 當山日出夫

水曜日は写真の日。今日はシャガである。

前回は、
やまもも書斎記 2022年6月22日
山吹
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/06/22/9502220

以前、四月に撮った写真のストックからである。

毎年、シャガの花が咲くころになると、春もたけなわという感じのころになる。写したのは、我が家の敷地内のものである。毎年、その季節になると気をつけて見ているのだが、いつのまにか白っぽい花が咲いているのが目にはいることが多い。

何の手入れもしていないのだが、この花も律儀に春になると花を咲かせる。家から少し歩けば、他にもこの花の咲くところがある。が、今年は、外に散歩で出かけるのがなんとなく億劫なので、カメラを持って写しに行くことはなかった。

群れて咲く花なので、一面に広がって咲く景色も、この花ならではのものかとも思う。が、我が家のうちにでは、そんなに広い面積に咲くということはない。生け垣の側に、いくつか咲く程度である。

今、梔子の白い花が咲きはじめたところである。来月になると、桔梗が咲くだろうかと思っている。夏の花の季節になろうとしている。

シャガ

シャガ

シャガ

シャガ

シャガ

シャガ

Nikon D500
SIGMA APO MACRO 150mm F2.8 EX DG OS HSM

2022年6月28日記

追記 2022年7月6日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年7月6日
カラスノエンドウ
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/07/06/9506499

世界サブカルチャー史 欲望の系譜 「アメリカ 葛藤の80s」2022-06-30

2022年6月30日 當山日出夫

世界サブカルチャー史 欲望の系譜 「アメリカ 葛藤の80s」

土曜日の放送。録画しておいて後日にゆっくりと見た。

前回の七〇年代と比べて思うことは、知っている映画が少なくなっていることである。八〇年代以降になると、自分で振り返ってみても、あまり映画を見なくなった。社会的に話題になり、流行というような映画もあったことは確かなのだが、学生だった七〇年代ほどには映画を見ていない。そのせいか、映画を軸にサブカルチャーの歴史を論じるというスタイルに、今一つついていけない印象が残ってしまった。

あるいは、もはや八〇年代になると「サブカルチャー」という概念自体が、あまり意味をなさないものになってきていたのかもしれないと思わないでもない。その前の七〇年代であれば、「カウンターカルチャー」として、存在意義があった。それが薄れてしまっては、そこから時代を読み解くのは難しだろうか。

それでも、マドンナが女性の権利を後退させたというあたりは、なるほどそうだろうと思う。また、この時代になってもベトナム戦争のことが影を落としていた。

この八〇年代の終わりの方で、ベルリンの壁の崩壊のことが少しだけ出てきていた。私は、これこそ、もうちょっと大きく取り上げられていいことのように思う。「世界」の「サブカルチャー」が歴史を動かすことがあったとすれば、その一つは、ベルリンの壁の崩壊ということにつながる動きだろうと思っている。これは、サブカルチャーというよりも、東側諸国に浸透してきた西側文化をめぐるメディア論として論じるべきことかもしれない。

2022年6月28日記