『ガラスの鍵』ハメット/池田真紀子(訳)2022-08-12

2022年8月12日 當山日出夫

ガラスの鍵

ハメット.池田真紀子(訳).『ガラスの鍵』(光文社古典新訳文庫).光文社.2010
https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334752101

ハードボイルドを読んでいる、というよりも、光文社古典新訳文庫で池田真紀子の訳で出ているので読んでみようかと思った。

解説を書いているのは、諏訪部浩一。これがよく書けている。なるほど、アメリカにおけるハードボイルドの成立とは、このようなものなのかといろいろうなづくところがある。

だが、今一つよくわからない、あるいは、私がハードボイルドについて思うことがいくつかある。

ハードボイルドの作品は、アメリカで、パルプマガジンに発表された。読み捨ての娯楽雑誌である。その発表の当時から、(アメリカでこのような言い方をしているのかどうか知らないが)「文学」……日本で言えば純文学……とは遠いところに成立している。また、どのような媒体に書かれたかということと、その作品の文学的価値は関係ないと言ってしまえばそれまでである。しかし、文学とメディアということを考えるならば、パルプマガジンに発表された小説ということは、憶えておいてもいいことなであろう。

読み捨ての娯楽雑誌というようなメディアに発表されたとはいえ、決して分かりやすい作品ではない。とにかく、心理描写がほとんどない。

一九世紀の文学、例えば、『居酒屋』(ゾラ)、『谷間の百合』(バルザック).『アンナ・カレーニナ』(トルストイ)……などのような作品を考えると、文学の歴史のなかで、神の視点からの登場人物の心理描写、これこそ、今日的な文学の手法である。だが、ハードボイルドは、これを拒否している。いや、二〇世紀文学のながれが、大きくみれば、このような方向……神の視点から心理描写……から離れるということなのかもしれない。

何故、パルプマガジンに発表の娯楽作品で、このような分かりにくい記述のスタイルが好まれるということになったのだろうか。(このあたり、もう深く考えみようという気にはなれないでいる。ただ、そのように思うだけである。楽しみの読書である。このような読み方もあっていいだろう。)

このようなことを思ってみる。ともあれ、ハメットに始まるような、ハードボイルドの流れが、現代の文学のあり方に大きく影響を与えていることは確かなことだろう。

2022年6月18日記

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