『司馬遼太郎の時代』福間良明/中公新書2022-10-28

2022年10月28日 當山日出夫

司馬遼太郎の時代

福間良明.『司馬遼太郎の時代-歴史と大衆教養主義-』(中公新書).中央公論新社.2022
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2022/10/102720.html

司馬遼太郎論として、また、戦後の教養と出版の歴史として、非常に面白い。ただ、これは、司馬遼太郎の作品を一通り読んだことのある人にとっては、より面白いと言った方がいいかもしれない。

司馬遼太郎が亡くなってかなりになる。今でも広く読まれている作家である。そして、司馬遼太郎の作品、なかでも『坂の上の雲』をめぐっては、歴史学の方から、毀誉褒貶、様々な意見がある。この本にしたがって整理するならば、進歩的なアカデミズムの側からは極めて批判的に見られることになるし、一方で、学際的な総合知をめざすような論者からは、高く評価されるということがある。

この本は、司馬遼太郎論というよりは、司馬遼太郎の作品が、どのような時代背景のもとに書かれ、そして、読まれてきたのか、また、それがどのように批判され、あるいは、賛美されることになったのか……ということに主眼をおいて述べてある。これは、今までの司馬遼太郎論の類では書かれてこなかったことである。

いわゆる旧制高校的な教養主義が消えて後、昭和五〇年代になって、大衆教養主義の時代になる。それをささえていたのは、主に企業の男性のサラリーマンである。教養をもとめる気持ちはあるが、重厚な専門書は手が出ない、だが、歴史をあつかった小説なら手が出せる、そして、出版史的には、文庫本の時代を迎えることもあった、また、時代背景として高度経済成長の後の時代ということでもある……様々な要因があって、司馬遼太郎の小説が書かれ、そして、読まれた。

司馬遼太郎の経歴もそれを、裏付けることになる。「二流」の経歴をたどってきた。書いたのは、歴史小説でも、歴史書でもなく、読み物であった。それは、明治の明るさと、昭和の暗さを描く作品であったが、時代に受け入れられた。

司馬遼太郎が読まれれば読まれるほど、アカデミズムの側からの批判も強くなる。それは、とりもなおさず、司馬遼太郎が論じるに価する歴史観を提示しているという認識につながっていく。

この本は、戦後の教養史、読書史、出版史、文学史、それから、社会経済史、労働史というようなものを総合したところになりたっている。特に、教養ということと歴史のかかわりを考えるうえで、非常に興味深い。

ところで、私は、司馬遼太郎の作品のほとんどは読んできていると思う。といっても、若いころから、文庫本で読めたものに限っててということになるが。(ただ、「街道をゆく」は読んでいない。)

『坂の上の雲』や『翔ぶが如く』は、二度読んでいる。これらの小説は、もとが新聞連載ということもあるし、司馬遼太郎の作品の書き方がそうであるということもあるのだが、細切れに読んでも意味がつながる。若いときは、電車のなかで読む本と決めて、カバンにいれておいて、それで読んだのを憶えている。

司馬遼太郎は、学問の世界と、一般の大衆教養の世界をつないだ作家ということになる。今、このような人がいるだろうか。学術の世界は、その専門の世界に閉じこもろうとしているように見えなくもない。一方で、インターネットの世界では、その学術の世界も、一般社会に開かれたものになっていくという側面もある。はたして、これからどうなるだろうか。

司馬遼太郎はこれからどう読まれていくことになるだろうか。おそらく、その歴史観への批判はつきまとうことになるだろう。だが、そのような批判をともないつつも、読み物としての面白さで読まれていくのではないだろうか、私には、そのように思える。

2022年10月21日記