『鎌倉殿の13人』あれこれ「義盛、お前に罪はない」2022-11-01

2022年11月1日 當山日出夫

『鎌倉殿の13人』第41回「義盛、お前に罪はない」
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/story/41.html

前回は、
やまもも書斎記 2022年10月25日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「罠と罠」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/10/25/9535725

和田が討ち取られることになる。ここで、義時は悪役である。

義時は、権力を握っている。それは、二つの意味においてである。

第一には、御家人に対して。

義時は敵対する御家人を滅ぼしていく。この場合、必ずしも御家人の側に非があったということではない。ひたすら鎌倉における自分の権力の安定のために、敵対するもの、あるいは、その可能性のあるものを、次々に討ち取っていく。まさに、敵対するものは滅ぼす、その力の誇示こそが、権力となっている。

第二には、実朝に対して。

義時にとって、実朝はもはやかざりでしかない。自分の意のままに操ろうとする。政治的にも、軍事的にも、すべての権力を握っている。ここは、源氏の血を引く実朝を鎌倉殿とすることで、自分の権力者としての地位の安泰を図っている。このあたり、なぜ、北条氏自身が、鎌倉殿にとって代わる権力者の地位につかず、名目上は執権という立場をとることになったのか、ここのところが、北条氏、義時の権力者としてのしたたかさというものであろう。

以上の二点のことを思ってみる。

つまりは、義時は、御家人たちに忠誠心をもとめることはしない。もとめるのは、権力に対する服従である。一方、鎌倉殿(実朝)に対しても忠誠心をもつことはない。義時は、二重の意味において孤独である。

ところで、この回は、合戦シーンが良かった。なるほど大河ドラマならではの、戦の場面であった。

次回以降、実朝はどうするのであろうか。後鳥羽上皇の動きも気になる。実朝の死にいたる伏線は、すでに描かれていると感じるのだが、最後はどうなるのか。これからの展開を楽しみに見ることにしよう。

2022年10月31日記

追記 2022年11月8日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年11月8日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「夢のゆくえ」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/11/08/9539297

千両2022-11-02

2022年11月2日 當山日出夫

水曜日なので写真である。今日は千両の実である。

前回は、
やまもも書斎記 2022年10月26日
万両
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/10/26/9535953

前回の万両の近くにある木である。万両の方は、かなり色づいてきて赤くなってきた。千両の木の実も、徐々に色が変わってきている。色づき始めたころを見はからって写してみることにした。これは、色が変わると赤くなる。赤くなると、寒さを感じるようになる。

テレビのニュースで、紅葉のことが伝えられるシーズンになってきた。我が家の近辺の紅葉はまだまだである。楓も公孫樹もまだ青い。

杜鵑草の花が咲いている。そろそろ朝晩が寒くなってきた。

千両

千両

千両

千両

千両

千両

Nikon D500
TAMRON SP 90mm F/2.8 Di MACRO 1:1 VC USD

2022年10月31日記

追記 2022年11月9日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年11月9日

https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/11/09/9539556

映像の世紀バタフライエフェクト「ソ連崩壊 ゴルバチョフとロックシンガー」2022-11-03

2022年11月3日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト 「ソ連崩壊 ゴルバチョフとロックシンガー」

私は、「映像の世紀」「新・映像の世紀」「映像の世紀プレミアム」「映像の世紀バタフライエフェクト」と、これまでの放送は、全部見てきているつもりでいる。だが、ソ連崩壊のことについては、これまであまり深く触れられることがなかったように思うが、どうだったろうか。

一九八九年のベルリンの壁の崩壊から、一九九一年のソ連の崩壊いたる過程、この時代のことは、記憶のうちにあることである。何が起こっているのか、よく分からないままテレビを見たり、新聞を読んだりしてしていた。この時代、日本は、昭和から平成への時代の変わり目でもあった。冷戦の終結、昭和の終わり、これは、今になってはやはり一つの時代の大きな節目であったと感じるところがある。

歴史に「運命」ということばを持ち込むのは不適切かもしれない。そのことは分かったうえで、それでも、これは一つの大きな運命的な流れであったという印象をどうしてももってしまう。

そのようなことを思ってはみるとしても、ここは、ソ連の崩壊についての歴史学からの厳密なアプローチが必要なのだとは思う。

だが、まだ、その時代ではないのかもしれない。少なくとも、今のロシアをとりまく状況がどうなるか、その行く末を見据えてからでないと、ソ連崩壊の歴史的意義ということは、論じにくいことなのかとも思う。(今のロシアにおいて、スターリンの再評価、ソ連時代への郷愁とでもいうべきものがあるらしい。これは、次の世代の人びとの時代にならないと、歴史として厳正に評価することは困難なことであるのかとも思う。)

2022年11月2日記

『神田神保町書肆街考』鹿島茂/ちくま文庫2022-11-04

2022年11月4日 當山日出夫

神田神保町書肆街考

鹿島茂.『神田神保町書肆街考』(ちくま文庫).筑摩書房.2022(筑摩書房.2017)
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480438317/

私が神保町にはじめて行ったのは、東京の大学を受験したときだった。そのときは、ただ通っただけだった。その後、慶應義塾大学文学部に入学して、本を買うために神保町に行くようになった。

まだ憶えているのは、三省堂の昔の建物。取り壊しになったビルではなく、その前の昔の建物である。ランチョンも、ビルになる前の店を記憶している。それから、九段の方に歩いて山本書店。これも今はビルになっているが、昔の古いの店舗には何度か行ったものである。

その他、自分の専門(国語学)の本を買うためには、八木書店とか、日本書房とか、西秋書店とか、よく行った。

何年か間のことになる、東京に行って神保町でちょっと時間をつぶす必要があって、靖国通りのスターバックスの二階の窓際の席で、向かいの古書店街の風景を、なんとなく見てすごしたことがある。スターバックスは、私の学生のころには無かったのは無論であるが、そこから見る古書店街の風景は、基本的に昔のままの印象であった。

この本の解説を書いているのは、仲俣暁生。この本についての優れた解説となっている。本の街の神保町の歴史であり、それは、日本の近代以降の学問と教育の歴史であり、とりもなおさず、近代日本の歴史につながるものである。神保町という街の歴史を語りながら、その地に集まった、多くの学校……東京大学、東京外国語大学、明治大学、専修大学、中央大学……など。さらには、多くの中国人留学生の集まる街でもあった。さらには、映画、演劇のことにまで話題はひろがっていく。

私の記憶にある範囲で、この本が取り上げていないテーマとしては、神保町は喫茶点の街でもある。お茶の水あたりには、昔、名曲喫茶などがあった。また、近年は、カレーの街としても名高いものになっている。それから、山の上ホテルのことについても言及があると良かったと思える(これは、あえて省いたのだろうか。)また、岩波ホールのことについても書いていない。(これも今年無くなってしまったが、私にとって神保町は、岩波ホールのある街でもあった。)

読み物として、そして、通史として面白く書いてある。これが、一般の学術書であれば、参考文献として脚注ですますようなことでも、丁寧にその本が引用してある。たとえば、反町茂雄の本などかなりの引用がある。(反町茂雄の本は、以前に読んだものであるが、再度、神保町の近代史として読みなおしてみたい気になっている。)豊富な資料の引用によって、通読してなるほどと理解の及ぶところが多々ある。

近代の学校や、学校をとりまく様々な歴史、出版史、書物史、古書店史といった方面に関心のある向きには、非常に面白く読める本であることはたしかである。ただ、もとの本を文庫一冊にしてあるので、今の通常の文庫本としては、字が小さい。かなり老眼になっている私としては、ちょっと読むのに苦労するところがあった。

東京を離れてかなりになる。神保町からも遠のいている。このところ、本は、古書をふくめて、オンライン書店で買うことが多くなった。しかし、神保町の、その分野の専門の古書店の棚は、おそらく、そこいらへんの大学の図書館よりも充実しているといっていいだろう。専門の勉強をしようとしている、若い学生などは、神保町に足を運ぶ価値はまだあるはずである。

と書いたところで、最近の出来事としては、国立国会図書館のことがある。絶版本などのオンライン送信もあるし、さらには、その全文検索サービスもある。これが、この十一月からは、古典籍にも拡大された。次世代デジタルライブラリーの実現である。本を自分のもとに蔵書として持つ意味が、大きく変わろうとしている。これからの、インターネットと、デジタルの時代において、古書店や書物というものの持つ意味が根本的に変わっていくだろうか。その時代の流れのなかにあって、私自身としては、昔ながらに紙の本を読む生活を続けていきたいと思っている。

2022年11月3日記

『闇の奥』ジョゼフ・コンラッド/高見浩(訳)/新潮文庫2022-11-05

2022年11月5日 當山日出夫

闇の奥

ジョゼフ・コンラッド.高見浩(訳).『闇の奥』(新潮文庫).新潮社.2022
https://www.shinchosha.co.jp/book/240241/

これはまだ読んだことのない作品であった。新しい訳としては、光文社古典新訳文庫がある。新しく新潮文庫で高見浩訳が出たので、これで読んでみることにした。名前は知っていたが、なんとなく読みそびれてきてしまった本である。

この作品の理解のキーワードとしては、植民地、それから、自然と人間、というようなことになるのだろう。読んで思うこととしては、次の二点ぐらいがある。

第一には、植民地ということ。

一九世紀のアフリカの植民地の現地の人びと、そしてそれを支配する側の人びとのこと。植民地とはこんなものかと思って読めばそのとおりかなと思う。ただ、植民地といっても、現代の二一世紀から考えるのと、まだ、列強諸国が植民地を持つのが当たり前であった時代の考え方とは、自ずと異なることをふまえておくべきだろう。

そのことを分かったうえで読むことにはなる。一九世紀のころ、ヨーロッパの人びとは、植民地の現地の人間のことを、こんなふうに見ていたのかと、これはこれとして、興味深いところがある。

第二には、自然と人間。

アフリカのコンゴ河の奥地のジャングルの自然が描かれる。その前にあって、人間はあまりに卑小であるといってよかろうか。あるいは、その自然に対することによって、人間の根源的な部分が、明らかになるとでもいうべきであろうか。このところにおいて、この作品は、一種の普遍性を獲得しているといっていいだろう。この作品が、世界文学の名作として読み継がれてきている理由が、このあたりの人間性の認識にあるのだろう。

以上の二つのことを思ってみる。

新しい翻訳ということもあるが、訳文が端正でなめらかである。そう長くない作品だが、ほぼ一息に読むことができた。

また、この作品が、マーロウの語りでなりたっていることも重要かもしれない。そして、その物語が語られる場所が、ロンドンのテームズ河という設定も意味のあることだろう。アフリカを舞台にした物語でありながら、その外枠には、一九世紀の英国を見てとることができる。

2022年11月4日記

『舞いあがれ!』あれこれ「空を飛びたい!」2022-11-06

2022年11月6日 當山日出夫

『舞いあがれ!』第5週「空を飛びたい!」
https://www.nhk.or.jp/maiagare/movie/week05/

舞はスワン号のパイロットになって、空を飛んだ。

この週で描いていたのは、大学のなにわバードマンたちの仲間どうしの気持ちである。舞はみんなの期待を背負う形で、パイロットになることにする。そこにはプレッシャーもある。だが、仲間たちは、舞のためによりよい飛行機をつくろうと、各自の役割において一生懸命になっている。この大学サークルの人間関係が、細やかに描かれていたと感じる。

なにわバードマンの学生たちの仲間意識が、この週の見どころであった。

そして、そこに織り込まれていたのが、舞の友達の久留美や貴司のこと。舞の家族のこと、会社のこと。五島の人びとのこと。これらが一緒になって、舞がパイロットになることを、応援している。

ところで、毎年夏に開催の「鳥人間コンテスト」であるが、ここしばらくはテレビを見ていない。放送していることは知っているのだが、夜起きていて見ようとまでは思わないでいる。夜はなるべく早く寝てしまうことにしているので、起きて見ているのがつらい。録画してまで見ようとは思わない。

だが、来年の「鳥人間コンテスト」は見てみようという気になっている。飛行機の設計や製作、パイロットのトレーニング……かかわった人びとの努力の結晶である。少なくとも、このドラマは、鳥人間への見方を大きくかえる契機になったことは、確かなことであろう。

2022年11月5日記

ブラタモリ「苫小牧」2022-11-07

2022年11月7日 當山日出夫

ブラタモリ 苫小牧

苫小牧には行ったことはない。ただ、昔、子供のころに学校の授業で習ったのを憶えている。製紙業のさかんな工業都市というイメージであったかと思う。

これは面白かった。子供のころの、社会の授業の工場見学のようだった。

製紙工場に、水路をつかって丸太を流して運ぶというのは興味深い。それを、ずっと昔から同じ方法でやってきた。しかし、説明されると、かなり合理的な手段であることが理解される。

それから、明治時代の発電所が、いまだに稼働しているというのも面白い。

なるほど日本の工業都市とは、このようにして出来てきたのかという印象であった。また、それが、立地条件としては、昔のアイヌの人びとの生活から続くものでもあったことも重要かもしれない。

ただ、この回、工業都市としての側面に重きをおいていて、湿地などの自然環境にあまり触れることがなかったのは、ちょっと残念でもある。

2022年11月6日記

『鎌倉殿の13人』あれこれ「夢のゆくえ」2022-11-08

2022年11月8日 當山日出夫

『鎌倉殿の13人』第42回「夢のゆくえ」
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/story/42.html

前回は、
やまもも書斎記 2022年11月1日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「義盛、お前に罪はない」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/11/01/9537408

いよいよドラマは、実朝の暗殺という方向に向かっていくようだ。

見ていて思ったのだが、海岸で船を作っているのなら、海から水路を掘って船のところまで水が来るようにすればいいのではないだろうか。どうもコロの上をころがして運搬するというのは、現実的ではないような気がする。

ともあれ、この回は船のことがメインであった。船をつくるというのも、その背後に何かうさんくさいものが感じられる。そして、それを挫折させるのも、陰謀のあってのことのようだ。結局、実朝の夢はくじける。

実朝は理想を求めている。だが、それを義時がはばむことになる。たぶん、義時は、権力のリアリストなのである。現実に、鎌倉で権力を掌握するとはどういうことなのか、一番よく感じ取っている。であるが故に、実朝の理想論を許すわけにはいかないし、また、政子とも相容れないことになる。

このドラマ、権力者としての義時を描いていると思って見ている。しかも、その権力は、どす黒い暗い側面を持っている。この意味においては、これまでの大河ドラマとは一線を画すものになっていると感じるところがある。

次回以降、実朝暗殺に向けてどう展開することになるのか。公曉……ATOKでは「くぎょう」から変換して出てくるようになっているが……は、どう動くことになるのか。楽しみに見ることにしよう。

2022年11月7日記

追記 2022年11月15日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年11月15日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「資格と死角」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/11/15/9541084

2022-11-09

2022年11月9日 當山日出夫

水曜日は写真の日。今日は葛である。

前回は、
やまもも書斎記 2022年11月2日
千両
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/11/02/9537637

以前の撮りおきのストックからである。

葛の花は、夏の終わりに咲く。そろそろ萩の花の咲く頃かなと思ってカメラを手に歩くと、道ばたで目に入る。木にからまってちょっと高いところに咲いている。レンズを交換しに帰ろうかと思ったが、面倒なので、カメラにつけてあった90ミリで撮影したものである。毎年、この花を見ると、夏が過ぎて秋が近づいていることを感じる。

外に出てみると、杜鵑草の花が咲いている。山茶花を見ると、早い花が咲いているのがある。写真に撮れるところに咲くのは、もうちょっとしてからになりそうである。千両や万両も実が赤くなってきている。紅葉にはまだ早いが、秋の景色に変わりつつある。
葛

葛

葛

葛

葛

葛

Nikon D500
TAMRON SP 90mm F/2.8 Di MACRO 1:1 VC USD

2022年11月7日記

追記 2022年11月16日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年11月16日
紅葉
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/11/16/9541276

映像の世紀バタフライエフェクト「世界を変えた“愚か者”フラーとジョブズ」2022-11-10

2022年11月10日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト 「世界を変えた“愚か者”フラーとジョブズ」

いろいろと考えるところの多い番組だった。

アップルの製品で、今、持っているのは、iPodだけである。これも、もう製造は中止になってしまっている。以前、一時期、Macを使っていたこともある。ただ、これも、今では使っていない。理由としては、大学で学生相手にコンピュータ関係の授業を担当するようになったからである。大学のコンピュータは、Windowsである。それと同じものを自分でもつかっていないと不都合になってきた。Macは使わなくなってしまった。

ただ、PCについて好みを言えば、Macは、世間で言われているほどいいPCであるとは思っていなかった。PCで仕事をする、というよりは、実際にアプリケーションで仕事をする。自分の仕事にあったアプリケーションがあるかどうかが、もっとも重要なことになる。

Macを使っていたとき、一番気に入っていたのは、キーボードの感触である。その当時、一般のWindowsマシンについてくるキーボードとは、雲泥の差があった。よくできているなあ、とつくづく感じたものである。(これも、最近のWindowsマシンは、キーボードも別に買って選べるようになってきている。今は、東プレの製品を気に入って使っている。)それに、Macをつかっていて、頻繁に出てくる「爆弾」には閉口したものである。

それにしてもアップルは、なぜiPodをやめてしまったのだろうか。スマホで音楽が聴ける時代、それもサブスクリプションで、という時代になってきていることは確かである。だからといって、iPodのような製品が不要になったということはないだろうと思う。私のように、CDを買って、それをiPodで聞いているというユーザは多いだろう。

番組にで取り上げていたのは、フラーとジョブズ。このうちフラーのことについては、知らなかった。いや、その存在は、どこかで目にしていたのかとも思うが、それと意識して見るということはなかった。「宇宙船地球号」ということばは知っている。いつの間にか世の中に定着したことばになっている。考えてみれば、この概念を発明するということは、とても偉大なことであった。

ジョブズのような人間が活躍できる世の中が、まともな世の中なんだろうなあとは思う。だが、今の私としては、手元にあるiPodで、一人静かに音楽を聴いて時間をすごしたいと思っている。

2022年11月8日記