映像の世紀バタフライエフェクト「ナチハンター」2022-12-15

2022年12月15日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト ナチハンター

アイヒマンの裁判については、かつての「映像の世紀」シリーズで、少し取り上げられていたかと思うが、それ以外は新しく発掘した映像資料によっているようだ。

見て思うことはいろいろある。はっきり言って複雑である。

ただ、ナチの犯罪を裁く、その執念と正義感の物語として見れば、これはこれとして、今の社会においては筋が通った、それこそ「正しい」理解ということになるだろう。

だが、その一方で、戦後におけるナチの犯罪に対して、ドイツ国民は、必ずしも積極的であったとはいえないということも、興味がある。

一つには、過去のことである、という意識だろう。

さらにはもう一つは、その犯罪行為は、ナチの責任なのか、そうではなく、ドイツという国家、国民、民族の負うべき責任なのかという考え方がある。このあたりは、かなり複雑な議論があるはずである。

悪いのはナチスであって、ドイツ国民もまたその被害者であるという立場もあり得るだろう。だが、そうではなく、ドイツ国民もナチスの犯罪に加担していたということもあるにちがいない。

法的な論理と、歴史的な倫理的な問題がここにはある。世代を超えて、責任を負うということはどういうことなのか。(これは、戦後日本のあり方とも深く関わっている。)

そう簡単に答えの出ない問題だからこそ、考え続けていかなければならないと思う。

2022年12月13日記