二〇二二年に読んだ本のことなど2022-12-31

2022年12月31日 當山日出夫

大晦日には、その年に読んだ本のことなどふり返ることにしている。

今年、読もうと思って読んでみたのが、川端康成、谷崎潤一郎である。川端康成は新潮文庫で今も出ている範囲のものは、読むことができたかと思う。多くの作品は、若いときに読んだことがある。再び読みかえしてみて、なるほど日本文学の中で傑作であると納得のいった作品もある。その一方で、今一つ作品世界にひかれないものもあった。川場康成が小説を書いていた時代と、今の時代と時の流れを感じる。

谷崎潤一郎については、基本は、新潮文庫で読んだことになる。それから、中公文庫で、新しい「全集」をもとにして、新しく作った本がいくつか出たので、それも読んだ。谷崎潤一郎も、若い時にいくつかの作品を読んだのだが、時を経て、自分も歳を取ってきて、しみじみとこれは紛れもない文豪の作品だなと感じるところがいくつかあった。『細雪』を読んだのは何度目かになる。これは、何度読んでも面白い。読むたびに、新たな発見がある。また、『細雪』に見られる上方文化への傾倒が、なみなみならないものであることも、他の作品で理解が深まったところもある。

三島由紀夫を読もうと思って、これは頓挫してしまった。若い時にいくつかの作品を読んでいる。今でも、そのほとんどの小説は文庫本で読むことができる。まとめて集中的に読もうと思いながら、『金閣寺』『潮騒』など読んだのだが、止まってしまった。非常に技巧的で、確かに巧みな小説であることは理解できる。とはいえ、時の経過ということも感じる。三島由紀夫の時代と、今の時代との隔たりを感じることがあった。

ここしばらく、秋には、授業の傍らに、何かまとめて読む本を設定して集中的に読むことにしていたのだが、今年は果たせなかった。

その他、この年に読んだ本で印象に残っているのは、高峰秀子がある。『わたしの渡世日記』を読んだ。名前は知っていて、名文家として知られることも知っていたのだが、なんとなく手を出さずにきた作品である。名エッセイであると同時に、すぐれた映画論であり、時代の記録になっている。

本を読む生活をおくりたいと思って生きているのだが、なかなか大部なまとまった本をじっくりと読むことができないでいる。『源氏物語』の岩波文庫版が揃ったので、これを読もうと思っていたのだが、果たせなかった。これは来年まわしである。

2022年12月31日記