二〇二三に読みたい本のことなど2023-01-01

2023年1月1日 當山日出夫

今年(二〇二三)に読もうと思っている本のことなど書いておく。

読む本を選ぶようになってきた。ただ乱読というのではなく、読んでおきたい本というのがある。

一つには、古典である。今ほど、古典というものの存在意義が問われている時代はなかったかもしれない。ただ古いから古典なのではない。読まれてきた歴史があり、それを読んでくることが、一つの言語文化の基底にになっている、そんな書物のことだと思っている。読み直しておきたい古典、まだ読んでいない本が多くある。何よりも古典を読みたい。

二つには、本を読むときの基本的な問題意識である。私の場合、次の二つの興味関心がある。まず、日本人は何を読んできたのか、読書文化史というような興味である。無論ここには、リテラシーの歴史という観点が重要であることは言うまでもない。そのような配慮をしつつも、いったいどのような言語文化の歴史があったのか、古代から近現代にいたるまで考えている。次には、今の生きているこの世界が、なぜこのような世界であるのか、という問いかけである。これは、宇宙論から、進化論、さらには、現今の国際政治、社会の問題にまでおよぶ。今の世界が、他のなにものではなく何故このようになっているのか、このような問題意識を持ち続けていきたいと思う。

以上の二つのようなことを考えているのだがが、具体的に何を読もうと思うか、思いつくままに書いてみる。

これまでそんなに多く読むことのなかったが、例えば、鶴見俊輔がある。今でもその著作の多くは読める。今の時代を考えるためにも、読みかえしてみたり、新しくまだ読んでいない著作を手にしようかと思っている。

他には、埴谷雄高がある。『死霊』は若い時に、その始めの方の巻を手にしたのだが、全部を読んでいない。これは読んでおきたい。

ドストエフスキーの『未成年』の新しい訳がでている。『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』などふくめて、再読してみたい。それからトルストイも『アンナ・カレーニナ』『戦争と平和』など、改めて読みなおしてみたい。

日本の古典文学では、『源氏物語』を読みなおしておきたい。岩波文庫版でまとめて読もうと思って、これがまだ果たせていない。『平家物語』も読みなおしてみたい作品の一つである。

『リヴァイアサン』の新しい訳がでている。これは読もうと思っている。

他にもいろいろあるが、時間のゆるす限りで、古典を軸に本を読んでいきたいと思っている。どれだけ読めるか分からないが、老後の読書である。何よりも楽しみとして本を読んでいきたいと思っている。

2023年1月1日記

映像の世紀バタフライエフェクト「ロックが壊した冷戦の壁」2023-01-02

2023年1月2日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト ロックが壊した冷戦の壁

二〇二二年の年末の放送。これも録画しておいて、大晦日の朝早くに見た。

年末の特集ということなのだろうが、これまでのシリーズとはちょっと感じがちがっていた。

大きなストーリーとしては、ロックミュージックと冷戦の崩壊ということで理解できる。その根底にあるのは、自由を求める人びとの思いと言っていいのだろう。

ただ、この回は、新しい映像資料というのはあまりなかった。(私にとって目新しかったのは、ソ連時代のビートルズのコピー演奏だった。)ほとんど、これまでの映像の世紀シリーズで使ったことのある映像資料を編集したものだった。

しかし、その言わんとするメッセージは、確かに伝わる編集であったと言っていいだろう。

ナレーションが、いつもと違って、糸井アナウンサーであったのは、何故なのだろうかと思ったのだが、どうだろうか。

やはりこのような企画で気になるのは、現在のこと。この放送では、現代の中国のこととか出てきていない。(香港のことが少しだけ出てきた)。ロシアのことも触れることがなかった。さて、冷戦の崩壊、表現の自由を求める若者の声、これらは、今の中国ではどのように受けとめられることなのだろうか。あえてまったく触れないということで、逆に、このことが気にかかる内容となっている。

自由を求める人びとの気持ちを、独裁的に抑えることはできない。このことは確かなことと言っていいのだろう。

この番組、二〇二三年も続くようである。続けて見ることにしよと思っている。

2022年12月31日記

「まんぞくまんぞく」2023-01-03

2023年1月3日 當山日出夫

NHK 「まんぞくまんぞく」

池波正太郎の生誕一〇〇年記念ということで、松竹とNHKとで作ったドラマ。BSで年末の放送。録画しておいて、正月の朝早くに見た。

池波正太郎を読みなおしてみたくなった。その作品のいくつか、特に、藤枝梅安の仕掛人のシリーズは読んだものである。また、エッセイも読んだだろうか。

池波正太郎のような、剣豪時代劇小説というのも、今となっては古風な一昔前の作品かという気もするのだが、しかし、時代劇という小説がどのように読まれてきたのかという興味もある。また、それに対応して、映画やテレビなどでどう描かれてきたかということも、重要である。

『まんぞくまんぞく』であるが、これは意図的に古風な時代劇の作風で作ってある。女性が主人公であるが、このような設定も、時代劇においてはそう珍しいものではないだろう。

ありきたりのストーリー展開なのだが、これはこれとして評価すべきところかと思う。妙に奇をてらうことなく、基本的なところを押さえて作ってある。見ていて、少し殺陣のシーンが多いかなという気もしないではなかったが、これは、まあサービスなのだろうと思う。

ヒロインの真琴の石橋静河が良かった。そして、池波正太郎というとどうしても食べるもののことを思ってしまうのだが、このドラマでは、甘酒と蕎麦だった。

さて、今年読んでみたい本のなかに、池波正太郎も加えてみようかと思う。また、時代劇、時代小説ということについても、考えてみたい。

2023年1月1日記

桜の冬芽2023-01-04

2023年1月4日 當山日出夫

今年も水曜日は写真の日。今日は桜の冬芽である。

年が改まってので、ということでもないが、新しく撮った写真からということにする。今は、花はほとんど咲いていない。山茶花の花も終わってしまった。かろうじてヤツデの白い花が見える。

駐車場にある桜の木である。このところ、毎年、この桜を中心に撮っている。他にも桜の木はあるのだが、我が家から一番近いということで、駐車場の木を選んでいる。

毎年、同じような写真を撮っている。まだ冬芽といっていいのだろう。花が咲く気配はない。しかし、このような冬芽を目にすると、寒い中にも春が近づいて来ていることを感じる。とはいえ、本格的に寒くなるのはこれからである。

桜

桜

桜

桜

Nikon D500
TAMRON SP 90mm F/2.8 Di MACRO 1:1 VC USD

2023年1月3日記

「江の島」2023-01-05

2023年1月5日 當山日出夫

ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯 新春スペシャル2023 江の島

もう正月はテレビは見ないのが基本なのだが、これは録画しておいて翌日(二日)の朝に見た。

江の島には行ったことがない。名前は知っているのが、これまで行く機会がなしにすごしてしまってきている。

江戸時代、江戸の人びとにとって江ノ島が観光地であったことは、これまでほとんど意識したことがなかった。観光地であると同時に、それは信仰の地でもあった。その対象となっていたのが、弁財天。弁財天の信仰も、時代とともに移り変わってきた。

それから、信仰のコアにあるのが岩屋。民俗学的に言うならば、胎内、あるいは、あの世、異界の擬制ということで理解できるのかと思う。(このようなところは、いろんなところにある。)このような場所があって、信仰の島ということになったのだろう。海食洞、波食台ということばは、この番組で知った。

2023年1月2日記

「いちげき」2023-01-06

2023年1月6日 當山日出夫

NHK いちげき

今年のNHKのお正月の時代劇ドラマである。脚本は宮藤官九郎。新しいテイストの時代劇であるといえる。

エンタテイメントとしてよくできている。荒唐無稽な物語である。だが、そうはいっても、その根底にある、歴史観というようなものもある。これが、ある意味で新鮮である。

大きくは、百姓が武士になる物語である。ただ、時代としては幕末。慶應三年の終わり。大政奉還があって、明治維新になろうかという時である。明治維新の結果、武士の時代は終わるということになる。(その結果が、四民平等であったかどうかは、また別の問題だが。)

百姓が武士になる物語としては、例えば新撰組の話しもそうかもしれない。

エンタテイメントとして作ってあるからこそ、そこに描かれる武士のイメージ、百姓のイメージというものが、気にかかる。今の歴史学では、江戸時代の身分制度について、そんなに厳格な上下関係、支配・被支配の関係を強く考えないのかとも思う。また、武士に対比されるのが、百姓というのも、ある意味ではステレオタイプなイメージではある。

ドラマでは、最終的に、武士の身分というものを軽やかに超えていく展開になっている。とはいえ、単なるヒューマニズムでもない。武士とか百姓とかという身分制度を超える視点に立とうとしていると言っていいだろうか。この意味では、新しい時代の時代劇と言えるだろう。

伊藤沙莉が良かった。それから、神田伯山の語りも良かった。

まさに幕末という時代を選んだからこそ作ることのできた、新しい時代劇である。

2023年1月5日記

『収容所から来た遺書』辺見じゅん/文春文庫2023-01-07

2023年1月7日 當山日出夫

収容所から来た遺書

辺見じゅん.『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(文春文庫).文藝春秋.1992(文藝春秋.1989)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167342036

この本のことは知っていた。読むことなく過ぎてしまっていた。今回、映画化ということで、話題になっている作品である。これを機会にと思って、読んでみることにした。

辺見じゅんの文章は、折に触れていくつか読んだことがある。『男たちの大和』は雑誌連載のときに、時々読んだ。ソ連における収容所、シベリア抑留のことは、知識としては知っている。しかし、これについて、特にまとまった本を読もうと思って読んだことは、特にこれまではない。

この作品を読んで思うことはいろいろとある。もちろん批判的に読むことも可能である。シベリア抑留となった人びとは、視点を変えてみるならば、大東亜戦争(と言った方がいいだろう)における、加害者の立場にもなる。また、この本では深く触れていないのだが、シベリア抑留の人びとのなかにおける、裏切り、反目、スパイ疑惑……これらのことは、避けて通ることのできない問題かもしれない。だが、この作品では、このようなことについては、強くは書かない主義であると見受けられる。これはこれで一つの立場であろう。

率直な感想としては、次の二つのことぐらいを書いておきたい。

第一には、収容所での暮らしについての、歴史的興味である。シベリアで、人びとがどんな暮らしをしていたのか、その生活、労働、あるいは、娯楽といった多方面にわたって、細かに描かれる。これは、一つの時代の記録として読んで興味深いものがある。

第二には、その「遺書」のゆくえである。タイトルにあるとおり、収容所から「遺書」が日本にとどけられるのだが、その手段、方法が、非常に興味深い。日本に帰還するとき、紙に書いたものを持って帰ってはいけない……このようなルールがあった。では、どうすることになるのか。このような時代、このようなことがあったのかと、感動的でもある。

主に、以上の二つのことを思ってみる。

それにしても、この作品を読んで、そう陰惨な気分にはならない。むしろ、次の時代の未来への希望を感じる。これは、この著者ならではの描き方、視点の置き方によるものであろう。

また、随所に引用されている、俳句、短歌がいい。収容所での句会の様子もいい。さらに、作中に出てくる「裸木」「海鳴り」の詩が、非常にいい。(これはどこかの学校の教科書にで載っていてもいいかという気がする。)

この作品が書かれたのは、まだソ連という国があった時代のことになる。その後、ソ連は崩壊し、また現在では、ロシアにおけるウクライナ侵略のときでもある。一つの時代が終わり、新たな歴史的状況を迎えている。だが、この作品は古びることはないだろう。ヒューマニズムにあふれた歴史の記録として、読まれていく作品であると思う。

映画は見ることはないと思うが(とにかく、ここ十年以上映画というものを映画館で見たことがない)、辺見じゅんの作品は、これから手にしてみようかと思っている。

2023年1月4日記

『舞いあがれ!』あれこれ「父の背中」2023-01-08

2023年1月8日 當山日出夫

『舞いあがれ!』第14週「父の背中」
https://www.nhk.or.jp/maiagare/movie/week14/

さて、岩倉のネジの工場はこれからどうなるのだろう。

この週で描かれていたのは、浩太(舞の父)の工場にかける思い。先代から徐々に工場を大きくしてきた。町工場としては、何よりも従業員の雇用を守ることを第一に考えている。そして、作る製品の品質を保証することである。

その岩倉の工場に、リーマンショックで危機が訪れる。たしかに、この時期、日本の経済はかなり過酷な状況にあった。

ただ、見本のネジを大量生産する前に、発注元の会社に確認するということはあってよかったのではないかと思う。発注する側としても、納期とのかねあいで、どのようなスケジュールで生産にかかるかは把握しておくべきだったろう。(ちょっとこのあたり、今の視点から見るとやや不自然な展開かなという気がしなくもない。)

そして、浩太は死んでしまった。心臓病だったようだ。突然の死である。これから先、工場はどうなるのだろうか。パイロットになるという舞の将来は、かなうのだろうか。このドラマも残り半分である。今年も、続きを楽しみに見ることにしよう。

2023年1月7日記

ドキュメント72時間「美術大学 青春グラフィティー」2023-01-09

2023年1月9日 當山日出夫

ドキュメント72時間 美術大学 青春グラフィティー
https://www.nhk.jp/p/72hours/ts/W3W8WRN8M3/episode/te/NGRQMG7ZPZ/

この番組は、時々見る。去年は、毎回録画しておいてそのほとんどを見たかと思う。年末になると、その年のベストテンを見る。昨年の夏には、歴代ベストテンがあった。これは面白かった。

この回は、武蔵野美大の芸術祭のこと。青春グラフィティーものと言っていいだろう。(このようなものとしては、歴代ベストテンに入った、北大の学生寮を思い出す。)

興味深いことがいくつかある。

美大、芸大というところは、謎である。一般の大学からすると、いったいここはどんなところかよく分からない。

武蔵野美大の場合、六割ほどの学生が就職するという。これは、そうなのかと思うところがあった。美大を出たからといってアーティストになるわけではないだろう。学んだことを生かすにせよ、会社勤めというのが妥当な生き方かなと思ってしまう。ただ、気になるのは、就職しない残りの学生である。アーティストとして自立できるのは、たぶんほんのわずかかと思われる。残りはどうなるのだろうか。まあ、最悪の場合、卒業後は行方不明というあたりかもしれない。だが、それはそれなりに人生を歩んで行くにちがいないとは思う。

見ていて良かったのは、教員が登場していないことだった。何を学び、何を考えるかを、あくまでも学生の視点で描いていた。このような場合、えてして大学側の意図として、何を教育したいか、どのような人材となることを求めているか、大学側の教育理念のようなものが出てしまいがちかもしれない。それが、無かったのはそのような方針で作った番組ということなのだろうと思う。

それにしても、美大で学んでいながら、奨学金の返済のために就職を考えなければならないとは、せちがらい世の中であると思う。

昨今の御時世にあっては、美大など「不要不急」の最たるものかもしれない。充実した大学生活、悩むことはあるかもしれないが……このようなことを感じた番組であった。

2023年1月7日記

『どうする家康』あれこれ「どうする桶狭間」2023-01-10

2023年1月10日 當山日出夫

『どうする家康』第1回「どうする桶狭間」
https://www.nhk.or.jp/ieyasu/story/

大河ドラマがはじまってから半世紀ほどになるはずである。その間、戦国時代を舞台として多くのドラマが作られてきた。他には、幕末期のものが多い。なぜ戦国時代なのか、やはりそれは、そこにその時代の社会のあり方を投影して見るということがあるのだろう。

二一世紀になり、混迷の時代、この時代に徳が家康を描くとして、どのように描くことになるのか、これはこれで興味深いところがある。今のところの見通しとしては、組織と人間ということかもしれない。それから、混迷の時代にあって、リーダーたるものはどう判断を下すべきか、まさにこの問題を端的に表しているのが、ドラマのタイトルになっている。

第一回は、桶狭間。これもこれまで多くのドラマで描かれてきた出来事である。最近では、『麒麟が来る』を覚えている。この出来事を、今川の側の家康の立場から見ればどうであったのか、というあたりがポイントになるかと思う。

このドラマにおける家康は、確固たる判断力の持ち主というわけではないようだ。今のような時代、トップの判断力も大事だが、部下のチームワークも重要ということなのかとも思う。

良かったのは、今川義元。今川義元も、これまで大河ドラマで数多く登場してきている。このドラマでは、野村萬斎。非常に味わいのある今川義元であった。やはり、舞などの芸能の場面がいい。

ただちょっと気になったのは、米。家康は、今川軍のロジスティックス担当ということになるのだが、運ぶのは米だけでいいのだろうか。まあ、確かに米の運搬ということは兵站を象徴する仕事だと思うのだが、実際の戦国時代の兵站の業務とはどのようになされていたのか、このあたりは気になるところである。

それから、このドラマでは、女性は立て膝で座らないようだ。これは時代考証としては、立て膝で座っていた方が自然であると、少なくとも私は感じる。

また、「国衆」ということばが出てきていたのだが、これは戦国の時代を描くことにどうつながっていくことになるのだろうか。このあたりも、これからの展開が気になるところである。

次回以降も楽しみに見ることにしよう。

2023年1月9日記