『鬼平犯科帳(一)』池波正太郎/文春文庫2023-01-21

2023年1月21日 當山日出夫

鬼平犯科帳

池波正太郎.『決定版 鬼平犯科帳』(一)(文春文庫).文藝春秋.2017
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167907631

「鬼平」を読んでみることにした。世の中には、猛烈な「鬼平」ファンがいる。この文庫本解説を書いている植草甚一がそうである。

ファンが多いせいだろう、文庫本でも版を重ねている。この文庫本に記載の書誌では、雑誌「オール読物」の初出が一九六八。その後、文春文庫で、一九七四、二〇〇〇年(新装版)、として出ている。無論、その前に、単行本での刊行があるはずである。

一番新しいのがこの「決定版」ということになる。文字サイズを大きくして読みやすくしてある。おそらく、このシリーズの読者がかなり年配の人が多くなってきているということを配慮してのことだろう。同じような改版は、藤沢周平の作品にもある。

私の記憶では、これまで「鬼平」の小説を読んだことはなかったかと思う。はっきり記憶に残っていない。また、テレビドラマ版も、ほとんど見てはいない。これは、たまたまそのような巡り合わせであったからとしかいいようがない。

若い時にこの小説にめぐりあっていたら、ファンになっていたかもしれない……とは、今になって思う。だが、もうこの年になって読んでみると、ちょっと距離を置いた読み方をしたくなる。

思うこととしては、次の二点ぐらいを書いておく。

第一には、ミステリではないこと。

「火付盗賊改方」の長谷川平蔵が主人公なのであるが、いわゆる捕物帳ではない。もっと端的に言ってしまうならば、ミステリではない。日本における捕物帳は、広くはミステリの枠で語ることもできる。意図的にそう書いている作家もいる。例えば、泡坂妻夫などがそうである。しかし、「鬼平」に犯罪は出てきても、謎解きの要素はない。おそらく、これは作者(池波正太郎)が意図的に、ミステリ的要素を抜きに書いたと考えられる。

第二には、犯罪小説でもないこと。

ミステリではないとすると、犯罪小説、あるいは、ピカレスクかとも思いたくなるが、そうでもない。たしかに犯罪……その多くは強盗、殺人であるが……のことは出てくるのだが、犯罪、犯罪者を描くという作品でもない。

以上の二つのことを思ってみるのだが、では、この小説は何であるかとなると、犯罪者と鬼平の登場する時代小説の一つ、としかいいようがない。そして、時代小説として読んだときに、これは上質のエンタテイメントになっている。

時代小説には様々な魅力があるが、この「鬼平」の魅力は、「人情」と言っていいのではないだろうか。長谷川平蔵も人である。また、登場する犯罪者(盗賊)もまた人である。その人としての感情の揺れ、裏表の機微をこの小説は見事に描いている。根っからの善人もいないし、悪人もいない。いや、悪人にも善人にともに、人としての情があると言うべきかもしれない。

この作品の書かれた時代は、かなり古い。半世紀以上の昔である。読んで、ちょっと今の時代の価値観にはそぐわないかなというところもいくつか目につく。しかし、それをあげつらっても意味はない。いや、いくぶん古びたところはあるものの、作品に流れている、人間を見る目の穏やかさというものを根底に感じる。

おそらく、「鬼平」はこれからも多くの人びとに読まれていくことだろうと思う。

2023年1月8日記

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの名称の平仮名4文字を記入してください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2023/01/21/9556979/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。