藤の種2023-01-11

2023年1月11日 當山日出夫

水曜日なので写真の日。今日は藤の種である。

我が家の藤棚で目にする。初夏に花が咲いて、しばらくすると種がぶら下がっているのが見える。これは、夏を越して冬になるまで目にすることができる。藤の種だろうと思って毎年見ている。

冬の間に植木屋さんが、藤の剪定に来ることになっている。その時に、この種も処分してしまうので、無くなってしまう。

藤棚は毎日のように見ているのだが、写真に撮ってみようと思ったのは、今回が初めてかもしれない。無論、花の咲くときには、花の写真を撮るのだが、花が終わってしまうとただ眺めるだけである。次の春、この藤に例年のように花の咲くのを写真に撮れたらと思っている。

藤の種

藤の種

藤の種

藤の種

Nikon D500
TAMRON SP 150-600mm F/5.6-6.3 Di VC USD G2

2023年1月9日記

『昭和史講義【戦後文化篇】』(上)筒井清忠(編)/ちくま新書2023-01-12

2023年1月12日 當山日出夫

昭和史講義(上)

筒井清忠(編).『昭和史講義【戦後文化篇】』(上).ちくま新書.筑摩書房.2022
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480074966/

夏に出た本で、上・下ともに買って積んであった。冬休みに時間のある時に読む本として、取り出してきて読んだ。非常に面白く読んだ。まず、上巻から。

上・下になっていて、上巻の方は、論壇・小説・マスコミといったあたりをメインに扱っている。

タイトルだけ書いてみる。

丸山眞男と橋川文三
鶴見俊輔
知識人と内閣調査室
復興・成長の経済思想
福田恆存と保守思想
戦後のベストセラー
獅子文六と復興
石坂洋次郎
石原慎太郎と太陽族
林房雄と三島由紀夫
社会派ミステリー
時代小説の再興
有吉佐和子
小林秀雄
大宅壮一と戦後マスコミ
岡本太郎の芸術
沖縄文化
勤労青年の教養文化
全共闘運動

読んで、これは読んでおきたい、あるいは、読みなおしてみたいと思った本がいくつかある。鶴見俊素見はきちんと読んでおきたい。始めの方に出てくる『日本浪曼派批判序説』(橋川文三)など、読んだのは学生の時のことだった。まだ探せば昔の本を持っているはずである。新しい本もある。これなど、改めて読みなおしてみたいと思う。他には、福田恆存などもそうである。いくつかの著作は読んだことがあるが、まとまっては読んできていない。小林秀雄も読みなおしてみたい。林房雄の『大東亜戦争肯定論』は、昔買ったのを覚えている。まだどこかにあるはずである。

ところで、興味深いことは……戦後の文化史を論ずるとして、では、一般の多くの日本の人びとは、どんな本を読んできたのだろうか、という肝心のところが、曖昧なままになっていることである。確かにベストセラーという著作や小説はあった。その発行部数もだいたい分かっているかもしれない。しかし、それらがその他のどんな本や雑誌と一緒に売られ、どのように読まれたかとなると、今一つはっきりしない。信頼できるデータ、資料が残っていないからである。ここではさらに、貸本屋という存在も考えてみなければならない。

それぞれの論考はとても興味深いものである。それは確かなことなのだが、読み終わって上記のような漠然とした不満は残る。これは、編者、筆者の責任ではない。そのようなことを明らかにする資料が残っていないのであり、あるいは、未開拓の研究分野である、ということなのである。

このようなことを確認するためにでも、この本は一読する価値があると思う。日本近現代における読書史というような領域は、まだ分からないことだらけのようだ。

2022年12月30日記

『昭和史講義【戦後文化篇】』(下)筒井清忠(編)/ちくま新書2023-01-13

2023年1月13日 當山日出夫

昭和史講義(下)

筒井清忠(編).『昭和史講義【戦後文化篇 】』(下).ちくま新書.筑摩書房.2022
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480074973/

上巻につづいて読んだ。収録されている論考のタイトルだけ書いてみる。

戦後の木下恵介と戦争
『君の名は』と松竹メロドラマ
成瀬巳喜男
ゴジラ映画
サラリーマンと若大将
新東宝の大衆性・右翼性・未来性
『叛乱』
三隅研次と大衆時代劇
日活青春映画
東映時代劇
任侠映画興亡史
「幕末維新」映画
菊田一夫
少年少女ヒーローとヒロイン
東映動画とスタジオジブリ
長谷川町子、手塚治虫と戦後の漫画観
「平凡」と大衆文化
朝ドラ
被爆者・伊福部昭と水爆怪獣・ゴジラ

どの論考もかなり力をいれたものになっている。ただ、全体として、映画に偏っているという印象はいなめない。これは、編者(筒井清忠)自身が、映画史の研究もしているということと関連があるのだろう。

映画にかたよった編集であることは、意図的にそうしている。だが、そうではあっても、黒澤明と小津安二郎はわざとはずしている。これは、このような編集もあっていいと思う。しかし、であるならば、映画史として日活ロマンポルノを切り捨てることはないだろうと思うが、どうだろうか。

それにしても、昭和の戦後といっても四〇年以上になる。それを、映画を軸にまとめるのは、ちょっと無理があったのではないかと思われる。テレビのことがほとんど出てこない。まあ、朝ドラに一つの章を使ってはいるが。他にも大衆演劇、芸能、それから、少年少女漫画雑誌のことがほとんど出てこない。

ここは、【戦後編】のさらなる続編に期待したいところである。

2023年1月3日記

『殺しの四人 仕掛人・藤枝梅安』池波正太郎/講談社文庫2023-01-14

2023年1月14日 當山日出夫

殺しの四人

池波正太郎.『新装版 殺しの四人 仕掛人・藤枝梅安 (一)』(講談社文庫).講談社.2001
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000202195

この小説(書籍)が出たのが、昭和四八年(一九七三)ということのようだ。あとがきによる。となると、テレビの「必殺仕掛人」がはじまったのは、ほぼ同時期のことということになる。テレビ版では、梅安シリーズは、最初の一作だけで、後は中村主水などに変わっていったと覚えている。

つまり雑誌連載のときから、テレビの企画がスタートしたと言っていいのかもしれない。(このあたりは、テレビの歴史ということで、興味深いところではある。)

私は、テレビ版の「必殺仕掛人」は初回から見た記憶がある。藤枝梅安は、緒形拳だった。それから、林与一が出ていた。そのせいか、私の中の梅安というと、緒形拳のイメージが非常に強い。

小説版(文庫)を読んだのは、学生のときだったかと思う。読んでみて、記憶にあるテレビの印象とかなり違うので、ややとまどったという印象がある。

池波正太郎の作品を読んでおきたくなって、手にした。今年(二〇二三)は、池波正太郎の生誕一〇〇年になる。「仕掛人」も映画になるらしい。(といっても、映画は見ない生活を送っているので、見に行くということはないと思うが。)

今の時点から、この作品、仕掛人シリーズの一冊目になるが、これを読んで思うところとしては、時代小説としてちょっと古いかなという感じがしなくもない。その一方で、「仕掛人」というものを創造したということでは、画期的な作品と評価することもできよう。これは、むしろその後のテレビドラマの分野で引き継がれ発展していくことになる。

おそらく戦後の大衆小説、時代小説という分野において、池波正太郎の業績は多大なものがあるだろう。たぶん、仕掛人のドラマや映画は、これからも作られていくだろうし、小説も読まれ続けていくことと思う。

また、どうでもいいことのようだが、この本でもいくつか魅力的な食べ物が出てくる。そんなに高価なものではない。安直な料理が多いのだが、しかし、実にうまそうである。これも、池波正太郎の作品を読む楽しみの一つと言ってよい。

2023年1月5日記

『舞いあがれ』あれこれ「決断の時」2023-01-15

2023年1月15日 當山日出夫

『舞いあがれ!』第15週「決断の時」
https://www.nhk.or.jp/maiagare/movie/week15/

IWAKURAのこれからはどうなるのだろうか。母(めぐみ)は、いったんは会社を畳むことにしたが、翻意して経営を続けることになる。一方、舞はパイロットになるのを諦めて、また柏木との関係も終わりにして、会社の手伝いをすることになるようである。

このドラマ、ヒロインがパイロットを目指す話しとして進んできたのだが、ここにきて方向が変わってきた。東大阪のネジ工場の物語として、(あとしばらくは)話しが続くようである。

これはこれとして、一つのドラマの作り方だろうと思う。リーマンショックの後の町工場の苦境というものはあったと思う。ここを乗りきるのも、また一つの生き方にはちがいない。とはいえ、舞の大空への夢がまったく無くなったというわけでもないだろう。まさに、小さなねじの大きな夢を描くドラマとして、これからの展開があるのかと思う。

東大阪の町工場の物語というのも、朝ドラとしては珍しい設定かもしれない。次週以降を楽しみに見ることにしよう。

2023年1月14日記

ドキュメント72時間「大阪 昭和から続くアパートで」2023-01-16

2023年1月16日 當山日出夫

ドキュメント72時間 大阪 昭和から続くアパートで

録画しておいて翌日にゆっくりと見た。

堅苦しい杓子定規な感想になるが、まず、公共の福祉とは何であろうかということを考えてしまう。このアパートに住んでいるような人びとは、言うなれば人生の敗残者である。底辺に暮らす人びとも言える。生活保護、年金暮らしの、このような人びとの生活について、行政はどう対応しているのだろうか。特に犯罪を犯すということがなければ、これはこれでいいということなのであろうか。アルコール依存症は犯罪ではないといえば、それまでである。

だが、その一方で、感じるところとしては、人間の情というものである。どのような境遇にあっても、いや恵まれない境遇だからこそ、人間は助け合い支え合いして生きていくのである。その人情、ヒューマニズムを見ることもできよう。

三〇分の番組からは、いろいろと思うところがある。あるいは、この放送は、今年のベストテンに入るかもしれないと思う。確かに番組としては魅力的に作ってある。そして、そこから何を感じ取るかは、見る人の感性と判断に委ねられる。

個人的な思いとしては、ここはやはり公的な福祉の手が入るべき場所の一つであると思わざるをえない。

2023年1月14日記

『どうする家康』あれこれ「兎と狼」2023-01-17

2023年1月17日 當山日出夫

『どうする家康』第2回「兎と狼」
https://www.nhk.or.jp/ieyasu/story/

NHKの大河ドラマというのは、現代における大衆の教養である。このドラマは、戦国時代を舞台にして、組織のあり方、リーダーの資質、ライバルとの関係、このような現代的なテーマを扱っている。(まあ、このようなことは、この『どうする家康』に限ったことではないかもしれいだろう。)

三河のリーダーである家康(元康)は、いかにも頼りない。優柔不断であると言ってもよい。それを支えるのが、有能で多彩な家臣団ということである。そして、その家康は、そのために身命をかけるにあたいする主君でありうるのか、そうなっていくのかどうか、これがこれからのドラマの一つの筋になるのかなと思う。

この回で面白かったのは、幼いときの家康(竹千代)と信長。これまで幼いころの家康というと、今川との関係であったかと思う。それが、このドラマでは、信長との関係を描いていた。このあたりは、これまでにない新鮮味と言っていいだろうか。

その信長も、これまで多くのドラマで描かれてきた。その過去のことをふまえて、このドラマにおける信長は、「婆娑羅」あるいは「歌舞伎」というスタイルと言っていいだろうか。

ところで、ちょっと気になったことがある。最後の紀行のとき、「厭離穢土 欣求浄土」に言及したとき、「土」の漢字に点があることに触れていた。これは、私の知識の範囲内でいうならばであるが、この時代の文字としては、点がある方が普通である。

次回を楽しみに見ることにしよう。

2023年1月16日記

万両2023-01-18

2023年1月18日 當山日出夫

水曜日なので写真である。今日は万両である。

雨が降った。久しぶりの雨という印象である。雨の降っている間は家にいるが、止むと外にカメラを持って出る。雨の日ならではの写真が撮れる。

写したのは万両である。かなり鳥が食べてしまっているのだが、それでも探すと実が残っているところがある。雨にぬれた万両の実を写してみたものである。

去年までに写した写真と比べてみると、今年は、千両の実が無くなるのが早いようだ。家のまわりの千両の実は、鳥が食べ尽くしてしまっている。

ニュースでは、梅の開花の便りがあったりするが、我が家の梅はまだまだ咲きそうにない。

万両

万両

万両

万両

Nikon D500
TAMRON SP 90mm F/2.8 Di MACRO 1:1 VC USD

2023年1月18日記

プロフェッショナル仕事の流儀「縁の下の幸福論〜校正者・大西寿男〜」2023-01-19

2023年1月19日 當山日出夫

プロフェッショナル仕事の流儀「縁の下の幸福論〜校正者・大西寿男〜」

この番組は時々見る。この回は、録画しておいて後日にゆっくりと見た。

見て思うこととしては、校正という仕事への認識を新たにしたことである。なるほど、書籍の校正とは、ここまでするものなのかと思ったのが正直なところ。その一方で、ここまでのことは求めない、ただ誤植が無いように見てくれるだけで、むしろそのことを厳格にやってくれればいい、という気もする。

原稿通りになっているか、誤植は無いか、これは決して単純なことではない。ただ、現代の出版事情ということを考えると、ワープロ入稿の時の誤変換ということはあっても、活字の文選の時における間違い、誤植ということはありえない。このあたり、昔の活版の時代のことを体験的に記憶している人間とは感覚が違うところかもしれない。あるいは、ワープロの時代になったからこその、特有の正誤の訂正ということもあるだろう。また、ワープロを使っているにもかかわらず、意外なミスというものもあるかとも思う。

校正という仕事を狭義にとらえれば、今では一般的にはワープロの誤変換の指摘、表記の統一、編集レイアウトの調整、などという範囲で収まるのかと思う。

だが、番組で紹介されたいた校正の仕事は、私の感覚で言うならば、校閲と言っていいだろうし、校正の仕事というよりは、編集の仕事だろうと思う。このあたり、今の出版の現場ではどうなっているのだろうかと思う。

ともあれ、その校正の仕事に対する信頼感は、なるほどと思うところがある。

しかし、これも考えようだろう。一つのことを調べるとして、私の感覚で言うならば、まず参照する範囲の文献、資料を限定すること、かける時間を区切ることからスタートする。無限に時間をかけて調査すればいいというものではない。一つの案件だけ精査するのではなく、全体としてレベルアップすることを考える。

ともあれ、宇佐見りんの小説などに、このような校正の目が入っていることは認識しておくべきことだろうと思う。

このような意味では、校正の仕事は、作品の内側に入りこむ理解力が必要であることになる。しかし、その一方で、機械的に誤植が無いかどうかを冷めた目で判定する冷静さも必要になる。文章を書くこと、読むことについて、いろいろと考えるところのあった番組である。

それから興味深かったこととしては、校正……それも内容にまでかなりふみこんだ……の仕事をする作業場に、ほとんど辞書・辞典・参考図書の類が見当たらなかったことである。机の上においてあったのは、新潮の国語辞典だった。これは、たまたまテレビがそのように映していただけのことかもしれないが。調べ物は、インターネットか図書館か、ということらしい。これもまた現代における校正という仕事の一側面かなと思って見た。

2023年1月16日記

ブラタモリ「大井川」2023-01-20

2023年1月20日 當山日出夫

ブラタモリ 大井川

大井川は何回も渡っている。新幹線に乗ってである。降りて大井川に行ったということはない。だから、大井川鉄道に乗ったこともない。

この回は、いろいろと面白かった。

大井川の渡しのことは、昔、小学校の教科書に載っていただろうか。とにかく学校の教科書で覚えた記憶がある。だが、その実態については、それほど調べようということなく来てしまっている。

断層のこと、お茶畑のこと、明治になってから架けられた橋のこと、それぞれに興味深いものであった。

大井川鉄道は、おそらく鉄道好きの人間には魅力的なんだろうなあと思う。ただ、私の場合、まったく鉄道には興味が無いので、そんなものかなと思いながら見ていた。

2023年1月16日記