『英語達人列伝Ⅱ』斎藤兆史/中公新書 ― 2023-03-27
2023年3月27日 當山日出夫
斎藤兆史.『英語達人列伝Ⅱ』(中公新書).中央公論新社.2023
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2023/02/102738.html
先に刊行の『英語達人列伝』は読んでいる。非常に面白く読んだのを覚えている。これは、その続編である。
取り上げてあるのは、
嘉納治五郎
夏目南方熊楠
杉本鉞子
勝俣銓吉郎
朱牟田夏雄
國弘正雄
山内久明
よく知っている名前もあれば、名前だけ知っているという人もあり、始めて目にする名前もある。が、読めば分かるが、どれも先の『英語達人列伝』と同様に、英語の達人ばかりである。それも、基本的には、日本で英語教育の基礎を学んだ人を集めてある。時代としては、明治から現代にまでおよぶことになる。
タイトルのとおり英語の達人の紹介、短い評伝なのだが、総じて、英語教育論になっている。昨今の口頭でのコミュニケーション重視の英語教育ではなく、読み書きを基本においた、オーソドックスな英語教育の方法に価値を再発見している。
この本を読んで、私なりに思うこととしては、次の二点。
第一には、英語教育について。
何のための英語教育なのか、分からなくなっているのが昨今の状況ではないだろうか。子供の小さい時から英語を学べばいいのか。それは何のためか。英会話が出来ればいいということなのか。あるいは、高度で専門的な英語による議論のためなのか。すべての子供、学生に課すものとしての英語教育はどうあるべきなのだろうか。
一部の、それを必要する学生に対する英語教育であるならば、それなりに目的がはっきりしているかもしれない。そうではなく、将来、英語を日常的に使う必要がさほどあるとは思えない、一般の多くの人びとが英語を学ぶことの必然性はいったいどこにあるのか。まあ、このようなことを言い出せば、学校教育そのものの必用性という議論になってしまうのであるが。
母語とは異なる言語に触れることの意味、これにつきるかもしれない。この意味では、学ぶ言語は、特に英語に限る必要はないかもしれない。中国語でも、朝鮮語でも、ロシア語でも、何語でもかまわなともいえる。
ただ、世界の趨勢として、英語の時代であることは確かなので、英語の実用的な優先順位は高くなるだろうとは思う。
第二に、古典ということ。
この本では、まったく触れていないことなのだが、この本で語られていることの多くは、古典をめぐる最近の議論にも通じるところがあると私は思う。実用性という観点からは、実務的な英会話と、古典教育は、相反することかもしれない。しかし、その教授法、勉強法、そして、真の意味での教養として身につけるべきものはなんであるのかという考え方からして、英語教育と古典教育には、通じるものがあると思う。
教育において何をどう教えることに意味があるのか、再度考えてみる必要を強く感じる。その一つの事例として、学校での英語教育ということで読むと、いろいろと考えところの多い本である。
以上の二点のようなことを思ってみる。
もうこの年になって、新たに外国語を学ぶという気力も無いようなものではあるが、しかし、日本語とは違った言語の世界があること、そして、それは学ぶに価するものであるということは、確認できる。
さらに思うこととしては、どのような人物を取り上げるかとなったとき、政治家、軍人が入っていてもよかったのではないかとも思う。近代の日本の英語ということを考えるとき、政治家、軍人といった人びとが、どのように英語教育をうけ、そして使ったのか興味あるところでもある。
2023年2月23日記
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