ブラタモリ「東寺」2023-05-18

2023年5月18日 當山日出夫

ブラタモリ 「東寺」

そういえばここしばらく東寺のあたりに行っていない。ひょっとすると、子供(長男)の中学の受験のときに行ってからかもしれない。

番組は、東寺と京都の歴史をざっとなぞるものだった。一般的な知識として、平安京の都が出来てから、その市街地のうち、西の方、それから、南の方が荒廃していったことは知られていることだろう。これには、鴨川の流路のことも関係してくるはずである。(ただ、番組では鴨川のことは出てきていなかったが。)

例えば『源氏物語』の「夕顔」の巻で、夕顔が住まいしていたのは、六条あたりだとある。このあたり、平安時代のころから、一般庶民、下層の階層のひとびとのすむエリアになっていたと、普通には理解していいだろう。洛中、洛外、ということばで言い表すとするならば、東寺のあたりがギリギリの洛中の範囲ということになる。

ただ、欲をいえばであるが、何故、西寺がつぶれて、羅生門も無くなったのに、東寺だけが生き残ったのか、このあたりの説明がほしかったところである。中世の寺社勢力としての東寺の存在、それから、近世から近代にかけての京都の街と東寺も面白いことが多々あるはずである。

京都の街で、近年こそ、京都駅周辺は賑わっているが、私の若いころは、あまりそうではなかった。そもそも近代になって鉄道の駅を作るということが、郊外であるということでもある。

近世から近代の京都の街と、弘法さんのことなど、言及があるとよかったと思う。が、まあ、そこまでは番組の時間の枠のなかでは無理だったかもしれない。

2023年5月14日記

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