『どうする家康』あれこれ「瀬名、覚醒」 ― 2023-06-20
2023年6月20日 當山日出夫
『どうする家康』第23回「瀬名、覚醒」
このドラマは、築山殿をめぐる事件をどう描くことになるのだろうか。
ともあれ、ドラマにおいては、瀬名はかなり良い人物として描かれている。瀬名は、瀬名の立場で、徳川のことを思っている。ただ、それが歴史の結果としてどうなるかは、また別の問題であるが。
『どうする家康』のドラマとしての特色の一つは、やはり瀬名の存在にあるだろう。
瀬名は、自身の判断で行動しているようでもあり、また、見方によっては武田に調略されたとも見ることもできるかもしれない。武田の歩き巫女、千代の存在が重要である。
戦国の世にあって、徳川、岡崎のような小さな大名が生きのびることを考えるには、瀬名のような存在もあり得たということなのだろうと思う。これはこれで、ドラマとしては、一つの作り方だと思って見ている。
次回、瀬名をめぐって話しはさらに展開するようだ。楽しみに見ることにしよう。
2023年6月19日記
『どうする家康』第23回「瀬名、覚醒」
このドラマは、築山殿をめぐる事件をどう描くことになるのだろうか。
ともあれ、ドラマにおいては、瀬名はかなり良い人物として描かれている。瀬名は、瀬名の立場で、徳川のことを思っている。ただ、それが歴史の結果としてどうなるかは、また別の問題であるが。
『どうする家康』のドラマとしての特色の一つは、やはり瀬名の存在にあるだろう。
瀬名は、自身の判断で行動しているようでもあり、また、見方によっては武田に調略されたとも見ることもできるかもしれない。武田の歩き巫女、千代の存在が重要である。
戦国の世にあって、徳川、岡崎のような小さな大名が生きのびることを考えるには、瀬名のような存在もあり得たということなのだろうと思う。これはこれで、ドラマとしては、一つの作り方だと思って見ている。
次回、瀬名をめぐって話しはさらに展開するようだ。楽しみに見ることにしよう。
2023年6月19日記
『街道をゆく 近江散歩 奈良散歩』司馬遼太郎/朝日文庫 ― 2023-06-20
2023年6月20日 當山日出夫

司馬遼太郎.『街道をゆく 近江散歩 奈良散歩』(朝日文庫).朝日新聞出版.2009
https://publications.asahi.com/kaidou/24/index.shtml
元は一九八四年に週刊朝日に連載。その後、単行本になり文庫本になりして、今にいたっている。
NHKの「新 街道をゆく」の「奈良散歩」の回を見て、これがよかったので、本を読んでみることにした。まず、「奈良散歩」の方から読んだ。原作(と言っていいだろうか)を読むと、NHKの番組が非常によく作ってあることが理解される。
二月堂の修二会を軸にして、「兜率天」としての東大寺のあり方を、貴重な映像資料で追っていることになる。番組では、仏教史にまつわるいろんなことは削除されたことになるが、これは致し方ないことかと思う。
「近江散歩」は、読む順番が後になった。これもとてもいい。一九八四年というと、高度成長期後の日本であり、日本列島改造の嵐のふきあれた後のことになる。その時代の流れのなかにあって、それ以前の古き良き日本の姿を、この文章はとらえている。
琵琶湖というものの環境保全の重要さを、特に力説している。これが、一九八四年に書かれているということを思ってみると、この当時の司馬遼太郎の目の確かさ、それから、武村知事の環境行政の姿勢が、高く評価される。
その他、戦国の時代のこと、姉川の合戦とか、鉄砲鍛冶のこととか、好きな方向に自由に脱線していく。それが、読んでいて楽しい。その中におりこまれている、地域の風景の描写がいい。司馬遼太郎の文章の良さが発揮されている。
もう今になって司馬遼太郎の小説を読み返してみようという気はおこらないでいるのだが、「街道をゆく」シリーズは読んでみようかという気になった。週刊朝日の連載である。かなり自由に書いているし、自由に読めばいいだろう。小説ならば、余談として書かれるような話題が豊富である。それも、今の研究からすれば、ちょっと古めかしいかという気もしないではない。だが、この文章の書かれた時代、まだ私が若かったころのことになる。その時代の歴史学のあり方がどんなものであったか、書き残しておいてくれるという側面もあるかと思う。
この文章が連載された、週刊朝日ももうなくなってしまう。だが、「街道をゆく」はこれからも読み続けられていくことだろうと思う。
2023年6月19日記
https://publications.asahi.com/kaidou/24/index.shtml
元は一九八四年に週刊朝日に連載。その後、単行本になり文庫本になりして、今にいたっている。
NHKの「新 街道をゆく」の「奈良散歩」の回を見て、これがよかったので、本を読んでみることにした。まず、「奈良散歩」の方から読んだ。原作(と言っていいだろうか)を読むと、NHKの番組が非常によく作ってあることが理解される。
二月堂の修二会を軸にして、「兜率天」としての東大寺のあり方を、貴重な映像資料で追っていることになる。番組では、仏教史にまつわるいろんなことは削除されたことになるが、これは致し方ないことかと思う。
「近江散歩」は、読む順番が後になった。これもとてもいい。一九八四年というと、高度成長期後の日本であり、日本列島改造の嵐のふきあれた後のことになる。その時代の流れのなかにあって、それ以前の古き良き日本の姿を、この文章はとらえている。
琵琶湖というものの環境保全の重要さを、特に力説している。これが、一九八四年に書かれているということを思ってみると、この当時の司馬遼太郎の目の確かさ、それから、武村知事の環境行政の姿勢が、高く評価される。
その他、戦国の時代のこと、姉川の合戦とか、鉄砲鍛冶のこととか、好きな方向に自由に脱線していく。それが、読んでいて楽しい。その中におりこまれている、地域の風景の描写がいい。司馬遼太郎の文章の良さが発揮されている。
もう今になって司馬遼太郎の小説を読み返してみようという気はおこらないでいるのだが、「街道をゆく」シリーズは読んでみようかという気になった。週刊朝日の連載である。かなり自由に書いているし、自由に読めばいいだろう。小説ならば、余談として書かれるような話題が豊富である。それも、今の研究からすれば、ちょっと古めかしいかという気もしないではない。だが、この文章の書かれた時代、まだ私が若かったころのことになる。その時代の歴史学のあり方がどんなものであったか、書き残しておいてくれるという側面もあるかと思う。
この文章が連載された、週刊朝日ももうなくなってしまう。だが、「街道をゆく」はこれからも読み続けられていくことだろうと思う。
2023年6月19日記
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