『どうする家康』あれこれ「裏切り者」2023-08-28

2023年8月28日 當山日出夫

『どうする家康』第33回「裏切り者」

現代から戦国時代を描くとき、現代の戦争観とでもいうべきものの影響を考えなければならないだろう。時代小説もそうであるし、映画やテレビドラマなどにおいてもそうである。

たぶん、今回の『どうする家康』で描いていた石川数正ほど、これまでのドラマで描かれなかった戦国武将の生き方もないかと思う。

数正は、家康に対する忠誠心は持っている。だが、世の中の動きを、数正なりに理解して、秀吉のもとに行った、こう理解していいだろう。何のために戦をするのか、これにはだいたい二つの理由があった。一つには、戦乱の無い平和な世の中にするため。二つには、主君である殿を天下人にするため。おおむね、この二つの理由で、家康の家臣団の武将たちは戦ってきた。

しかし、数正はそうではない。時代の流れを見ている。秀吉の天下になったという動きを見ている。これは、三河にいる徳川家臣団においては希有なものの見方ということができる。

この考え方はある意味では正しい。より力を持っているものが支配する世の中になるのならば、それに従うしかない。

だが、歴史の結果を知っている現代の我々からするならば、この数正の判断は、結局は読み誤ったということになる。秀吉の天下は長続きするものではなかった。最終的に天下を治めることになるのは、家康である。

太平洋戦争が終わって、戦後の日本でどのように戦国時代が描かれてきたか、武将たちはいったい何のために戦ってきたか、その描き方には、戦争をどう考えるかという感じ方がどうしてもつきまとっていたと思うところがある。私の記憶の範囲では、何のための戦なのかと問われて、戦のない平和な世の中にするためである、この種のアンビバレントな答えが、常にあったように思う。

それが、近年では戦をすること自体が自己目的化したような、あるいは、戦乱の世の中を生きのびるため、というように変わってきているように感じる。

さて、今の世界でより力を持っていて支配権のある国といえば、どこになるだろうか。もはやアメリカだけではない。ロシアか、あるいは、近い将来の中国か。より大きな支配力を持っているところになびこうとする発想自体、今の時代においても意味を持っている。

2023年8月27日記

ドキュメント72時間「異国の地アフガニスタンの食堂で 完全版」2023-08-28

2023年8月28日 當山日出夫

ドキュメント72時間 異国の地アフガニスタンの食堂で 完全版

この放送の最初の時、見ている。再放送の完全版を見ても、いろいろと思うところがある。

たしかに、アフガニスタンをめぐる状況は難しいものがあるだろう。イスラムの教えを独自に解釈するタリバンの強権的な統治のあり方はよくない。だが、だからといって、力によって打倒するということにもいかない。

国、民族、宗教、様々にからみあって、問題が複雑化している。そして、その問題は、アフガニスタン国内の問題にとどまらず、隣国のパキスタンにおよんでいる。

パキスタンの食堂でプラウを食べる人びと。だが、その一方で、高くてプラウを食べることのできない人びともいる。

見ていて思ったこととして、女性がほとんど登場しないということがある。これは、イスラムということ、アフガニスタンからの難民ということに、配慮してのことなのだろうと思う。

この放送のなかでは、極度の貧困や飢餓というものは映っていなかった。これはそのように配慮して作ったのだろうとも思う。

夜、サッカーに興じる子供たちの姿がいい。決して恵まれたとは言うことのできない人びとではある。しかし、そこには笑顔があり希望がある。これが、この放送の回の救いと言っていいだろう。

2023年8月27日記