「獄友たちの日々」 ― 2023-10-07
2023年10月7日 當山日出夫
ETV特集 獄友たちの日々
再放送である。最初は、二〇一七年。
冤罪事件はニュースになる。その多くは、警察、検察の非を語るものが多い。
冤罪事件の当事者……犯人とされてしまった人……が、どのような思いで刑務所のなかですごしているのか、また、そこから出られたとしても、どんな生活を送っているのか、このことについては、ほとんど一般に知られることがなかったと思う。
それぞれに事情はあると思うが、確かに一種の極限状況のなかで長い年月を過ごすということが、その人間にどのような影響を与えることになるのか。それでも、生きているということは何であるのか、いろいろと考えるところがある。
ただ冤罪事件について、警察や検察のことをせめるばかりではなく、世の中に法というものがあることと、そのなかで人は生きていることの意味を考えることの必要を感じる。
死刑という制度については、私の考えとしては理念的には否定はしない。だが、実際にそれがどのよう行われるのか、また、死刑囚であるひとがどのような生活を送ることになるのか、この実態は広く議論されるべきことであるとも思う。死刑囚として獄中をすごすことは、刑の執行よりもさらに残酷な刑罰であると言ってもよいかもしれない。死刑という刑罰については、最大限の慎重さと熟慮が必要である。
ところで、狭山事件については、ある思い出がある。私がまだ学生だったころ、この事件の証拠の鑑定をめぐって、国語学会の研究会で話しを聞いたのを憶えている。話をしたのは、大野晋。たしか、会場は京都だった。
2023年10月2日
ETV特集 獄友たちの日々
再放送である。最初は、二〇一七年。
冤罪事件はニュースになる。その多くは、警察、検察の非を語るものが多い。
冤罪事件の当事者……犯人とされてしまった人……が、どのような思いで刑務所のなかですごしているのか、また、そこから出られたとしても、どんな生活を送っているのか、このことについては、ほとんど一般に知られることがなかったと思う。
それぞれに事情はあると思うが、確かに一種の極限状況のなかで長い年月を過ごすということが、その人間にどのような影響を与えることになるのか。それでも、生きているということは何であるのか、いろいろと考えるところがある。
ただ冤罪事件について、警察や検察のことをせめるばかりではなく、世の中に法というものがあることと、そのなかで人は生きていることの意味を考えることの必要を感じる。
死刑という制度については、私の考えとしては理念的には否定はしない。だが、実際にそれがどのよう行われるのか、また、死刑囚であるひとがどのような生活を送ることになるのか、この実態は広く議論されるべきことであるとも思う。死刑囚として獄中をすごすことは、刑の執行よりもさらに残酷な刑罰であると言ってもよいかもしれない。死刑という刑罰については、最大限の慎重さと熟慮が必要である。
ところで、狭山事件については、ある思い出がある。私がまだ学生だったころ、この事件の証拠の鑑定をめぐって、国語学会の研究会で話しを聞いたのを憶えている。話をしたのは、大野晋。たしか、会場は京都だった。
2023年10月2日
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