『どうする家康』「唐入り」2023-10-09

2023年10月9日 當山日出夫

『どうする家康』第38回「唐入り」

晩年の秀吉のこと、特に、朝鮮、明への侵攻をどうえがくは、戦国時代ドラマとして、それぞれに興味のあるところである。この『どうする家康』においては、このことを、かなり肯定的な視点から描いていると感じる。秀吉は、はたして正気を失ってしまったのか、と思わせるところもあり、一方で、若いときからの凄みもある程度感じさせる。

では、茶々は狐ということになるのだろうか。まあ、茶々については、魔性の女というのがふさわしいのかもしれない。秀吉は、その魔力にたぶらかされて合理的判断力を無くしてしまった、そんなふうにもとれる。

名護屋城での、宴席での瓜売りのシーンは、このドラマでもかなり工夫したところだったかと思う。記憶にあるところでは、『真田丸』でも瓜売りは、かなり印象的に描かれていた。

しかし、朝鮮出兵は、今でいえば、インテリジェンスの不足、ロジスティックスの不備、と言えるだろう。

足利義昭が登場してきたのは、意外な気がした。だが、ドラマの作り方としては、義昭の口から、将軍という権力の頂点にいるものが、世の中の全体を見わたすことができるということはない、という台詞が出たのは、なるほどこういう脚本の作り方もあるのかと思って見ていた。

それからどうでもいいことかもしれないが、阿茶局は座るとき立て膝で座っている。演出としては、この方がむしろ自然だと私は思っている。

次週は、秀吉の最期ということになるようだ。家康との関係をどう描くか、楽しみに見ることにしよう。

2023年10月8日記

映像の世紀バタフライエフェクト「竹のカーテンの向こう側 外国人記者が見た激動中国」2023-10-09

2023年10月9日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト 竹のカーテンの向こう側 外国人記者が見た激動中国

かつて毛沢東を英雄視する時代があった。私は、一九五五年(昭和三〇)の生まれである。その時代の中国礼讃のテレビ報道など、しっかりと記憶している。文化大革命のとき、「造反有理」は日本でもさかんに言われた。

この回の見どころの一つは、天安門事件のタンクマンについてである。これまで天安門事件を象徴するシーンとして見てきた。だが、それは、当局が外国人ジャーナリストの目を意識して、意図的に仕組んだものであった……その可能性は、排除できないことになる。市民をひき殺すことをしない人民解放軍というイメージが残ったことになる。

天安門事件は今でもタブーである。毎年のことだが、日本のテレビ局がこれを報じようとすると、強制的に放送が遮断される。この場面を、たぶん中国側は分かった上で意図的にやっているとしか思えない。中国に報道の自由は無いということを、自ら宣言している。

中国共産党の統治の正統性に対する疑義は絶対に許さないという、今の姿勢はやはりおかしいと私は思うのである。

2023年10月4日記